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聖剣伝説VoMクリアしました!
フワフワした雰囲気の中から送られるシビアな価値観、でも徹底した“愛”の物語と実に聖剣シリーズらしいストーリーでした。
というわけで今回はそのままストーリーについての思いの丈をただ吐き出すだけの記事となっています。
考察とかでもなく本当にただ感情を吐き出しているだけ。
なので支離滅裂、主観マシマシ、言葉足らずなことになっていること間違いなしなのでそこら辺を「きんも…」と思う人はここで読むのやめるのが正しい判断です。
目次
世界のシステムについての価値観の齟齬
このゲームで最初にプレイヤーに突きつけられ、そして最後までプレイヤーもキャラクターも悩み続けたのがこの世界の現在の御子のシステム。
直球に言ってしまえば生贄を捧げることにより、世界を維持するというシステムなわけです。
で、このゲームの上手いところと言いますか、まずゲーム開始時にオーリンとライザを通して説明してくるところ。
土の御子に選ばれたライザと彼女を捧げることに納得が行かないオーリンの逃避行からこのゲームは始まるわけですが、
その結果は御子が使命から背くことにより、(この時点だと当然明かされていない事実ですが)ネタバレもクソもなく言ってまうと土地がディロフォロスの呪いに侵されてしまう。
そしてライザは石化され、オーリンは打ちひしがれると、OPから御子が捧げられることの重要性とそれに背いたことの末路を示す、
つまり御子を捧げないという選択肢は存在しないことを提示してくるんですよね。
そして主人公たるヴァル達に視点が移るわけですが、この世界だとこの御子に選ばれてマナの樹へと送り届けられるというこのシステムは栄誉なこととなっている。
これは正直結構なプレイヤーがヴァル達との価値観に強烈な齟齬を覚えて、
もっとはっきり言ってしまうと気持ち悪いという感覚すら覚える部分だったと思います。
そりゃこの感覚は当然なものでみんな御子に選ばれるために努力している、つまり極端なことを言うと死ぬために努力しているんですよ。
ここに関しての強烈な齟齬、後々の布石と分かりながらも下手すれば序盤から脱落者すら出かねない価値観だったと思います。
でもこれを防ぐようにしているのがOPのオーリンの存在なわけです。
彼がいることでプレイヤーと認識が同じ人物が確かに物語の中に存在している。
これをあらかじめオープニングで提示されていることによって後々の悲劇を予感させながらもプレイヤーをしっかりと繋ぎ止めることに成功していた、自分はそう思っています。
これを序盤からやれるのはあの時点ではオーリンしかいないということで、少なくとも序盤の彼の貢献度は高かったですね。
ヒナとの別れ
このゲームにおけるターニングポイントであるヒナとの別れ。
ここは色々な出来事や価値観の葛藤が行われています。
特に価値観に関してはある種プレイヤーを安心させる物でもありましたね。
それはヒナが火の御子として選ばれながらもヴァルとと共に生きたいという葛藤があり、使命に対しても葛藤が生まれていること。
これが結果としてオーリンの思惑に付け込まれることになるわけですが、少なくともこの告白を初めて聞いたプレイヤーはホッとした思います。
他でもない御子自身がこの生きたいという葛藤を抱えたこと、そしてその告白を聞いたヴァルがその思いを叶えてあげたいと思ったこと。
少しずつプレイヤーとの齟齬が埋まってくるようでここは正直安心しました。
そしてそこから流れるようにノータイムで起きる悲劇。
御子の使命の葛藤を覚えたヒナがオーリンの罠によってヴァル自身の手で生命を奪われることになるという、
形は違えどライザのようにどこまでも使命に殉じないことに厳しい世界なのかと思うほど。
それをやるのがプレイヤーとの認識が1番近いオーリンというのが、さもありなんと思いつつもまたきつい部分ではありました。
まぁでもここ見てもオーリンは全体的に損な役回りです。
最初はプレイヤーと考えがリンクした存在なのにヒナに手を出した時点でプレイヤーからも嫌われる存在になる。
そして後々似たようなポジションであるディロフォロスが登場してからはお役目終了と言わんばかりに失意の元に退場させられるんですから。
でも、彼がいなくてはヴァルや御子達の意識の変革は起きなかった、
損な役回りではありますが間違いなくオープニングに登場した人物らしく世界を変えるための始まりの存在でもあったなと思いましたね。
ディロフォロスの登場
ヴァル達はヒナが消えてからも結局は元のお役目を果たすためにマナの樹への旅路を進めます。
とはいえここからは今までの世界の常識とオーリンによって新たに生まれた意識との葛藤はしばしば描写はされます。
そしてマナの聖域で新たに出てくるのがこの世界のかつての英雄であるディロフォロス。
かつての英雄でありながら世界やマナの女神を恨み、世界を破壊しようとするディロフォロス。
オーリンは御子を捧げない元の世界に戻そうとしましたが、彼は世界を破壊しようとするとより過激な形ですよね。
ただ彼の役割はやはりオーリンと同じ、ディロフォロスの行動を追っていく内にやはりヴァル達は多くを知り、価値観の変革を迎えていくようになります。
ディロフォロス登場からの流れは割と唐突感とスピード感があったんですが、ここら辺は一種のノリと勢いで突き抜けた部分ではあったと思いますね。
それぞれの答え
ディロフォロス登場からの流れでシリーズお馴染み(というほどやってもいないかな?)の神獣退治。
ここでそれぞれの故郷に帰り、自らを捧げる覚悟だった御子達もはっきりと意識を変えていきます。
カリナは捻くれていた自分と向き合い、モートレアは母と養父の想いと過去の悔やみが解消され、パルミナは御子よりも大切な使命を、ジュリは世界に目を向けることを。
御子として自らを捧げることでは出来ない、その先を見据えた物をはっきりと認識するんですよね。
そして住民達もこれらを通じて一部は変わっていく。
世界や意識が変われば行動も変わる、そしてその姿を見れば人々も変わる。
ここら辺は王道かつベッタベタではありますが、だからこそストレートに響く物がありましたね。
ティアナへの帰還
最後の神獣を倒すためのティアナへの帰還。
このティアナの帰還がこの旅、そしてこの物語において1番印象的でした。
何がきついってヒナを失って帰ってきたヴァルにみんな優しいんですよ。
本当に誰も責めない、それはヒナの両親ですら。
御子に選ばれたことの意味を別れてから感じ取ったヒナの両親。
この本来なら栄誉なこのシステムの残酷さを別れてから痛感するという、でもこれがあるからこそこの世界の人間はただ捧げている訳ではないことも分かるんですよ。
他の人間ではなくヒナの両親がそう思っていた、これはプレイヤー視点からも救われることではありました。
ヒナはヴァルと共にいたいと思ったからその意思もしっかりと汲んだ。だからこそヒナの両親は責めない。
でもここでヴァルがヒナの両親にすら責められないことの痛みを見せることと共に、ティアナでヴァルとヒナがどれだけ住民から好かれていたのか、
そしてこの2人の仲がどれだけ皆から常に祝福されていたかを感じ取れるんですよ。
そして残されたヒナの手紙ですよ。
これは本来ならお役目を終えたヴァルが見ることになるもの、言ってしまえば遺書ですよね。
この手紙を通じたヒナの独白がヴァルとどれほどの未来を紡ぎたかったのかという告白。
ヴァルは勿論プレイヤーからしたら本当に久々にヒナの声を聞けるので、号泣もんでしたわ。
もうここで一生がヒナに捧げられることが決まったようなもんですが、EDを見てもそれでもヴァルは間違いなく幸せではあったんでしょうね。
“愛”の物語
このゲームのストーリーは徹底した“愛”の物語です。
ヴァルとヒナは勿論のこと、オーリンとライザ、ディロフォロスとセライナもそう。
そもそもこの世界の御子のシステムが生まれたのがディロフォロスが“愛”の深さ故に呪いを撒き散らしたことがキッカケですからね。
誰よりも英雄であったディロフォロスが共に生きたかったセライナ。
ディロフォロスが1人神獣討伐に向かっている最中でセライナが強盗によって命を落としたこと。
これが彼が狂い世界に呪いを撒き散らした始まりだったわけです。
人から見たら世界に対してまでやるとか逆恨みだろなんて思うでしょうが、
ディロフォロス視点からするとマナの女神のため、セライナがいる世界のために、そしてそれは結果としてそこに住む人々のためにもなる戦いだったのに、世界も女神も自分が最も大切な物を奪っている。
身も蓋もないことをいうと女神や友人達のアフターケア不足なんですが、
彼からすれば自分の心はどうでも良くて体や力だけが目当てだったと判断するには十分だったと言えるでしょう。
でもそんな“愛”故に狂った英雄を止めるのも“愛”を背負ったヴァル達なんですよね。
ディロフォロスでいうセライナだったヒナを失ったヴァル。
彼との明確な違いは旅路が1人ではなかったという部分は大きかったでしょう。
ディロフォロスにも友人はいましたが肩を並べ、共に歩む仲間はいなかった。
でもヴァルは御子達と共に肩を並んで進んできた訳ですから、これがこのゲームのストーリーでの奇跡の1つなんでしょう。
歪んだ聖域において歴代の御子と守り人の旅路を垣間見えるのですが、
御子全員がこれだけ戦える旅路だったのは間違いなく今回のパーティだけだったように見えます。
なので守り人と共に肩を並べて神獣やディロフォロスとすら渡り合えるのは今回1回限りの奇跡だったのでしょう。
そしてディロフォロスを打ち倒してヴァル達の出した答えと結末。
そこにもやはりこのゲーム、ひいては聖剣らしいシビアさもある結末でもありました。
このゲームは徹底した“愛”の物語です。
なので今まで世界のために犠牲になった御子達の想い、つまり“愛”を否定しないために彼らはこのシステムを根っこから否定することはしない。
歴代御子達を見ると幼い子もいれば恐れを抱いていた人もいるんです。でも彼らはそれらを乗り越えて自らを世界に捧げたわけです。
だからこそシステムそのものを根っこから間違っていたと否定することはそこに犠牲を払った御子達の想いをないがしろにすることになる。
一貫した“愛”の物語なため、彼らのこの想いを否定しないことがヴァル達の一貫性なんだと思います。
ただこの先を変えるという想いで御子の犠牲が必要としない世界への決断を下します。
それってシステムの否定と何が違うの?と思うでしょうが、確かに答えとしてはどちらも変わらない。
ただシステムの否定という感情から出す答えは世界の“破壊”なんですよね。
ヴァル達は“愛”から答えを出すのでそれは世界の“変化”だと自分は思うのですよ。
でもシビアさもあるのがやっぱり聖剣シリーズ。
多分結構な人がヒナは何だかんだで帰ってくるんでしょう?と思っていたでしょうし、自分もそう思っていました。
でもやっぱりこのゲームは聖剣シリーズなんですよねぇ。
別れや死はほぼ絶対的な物、なのでヒナが帰ってくるなんてことはあり得ない。
LoMの宝石泥棒編とか例外中の例外だよなぁと思わせてくれるシビアな価値観も突きつけてくれました。
でも“愛”故の犠牲を否定しないということは犠牲となったものの帰還も許してはいけないってことですもんね。あぁ辛い
んでですね、このシリーズならではのシビアさがありながらも伝えてくる本作の“愛”は聖剣シリーズ全体にも及んでいるように思えるんです。
このゲームをクリアした時に出てくる演出。
それは最後にタイトル画面に5の文字が出てくるんです。
止まっていたナンバリングが今回本当に久々に進んだわけですが、これは4に対する“愛”を感じるのですよ。
決して好意的ではないというか、寧ろ否定的な捉え方しかされないナンバリングでもある4。
それこそ新作が出るたびについに4が出たのかとか言われるような立場だったわけですが、
今回5と明確に銘打ったことでこの4すら内包して進んでいくというシリーズに対する“愛”を感じ取れたわけです。
まとめ
徹頭徹尾貫き通した“愛”の物語。
ナンバリング認定で4もシリーズとして包み込んだ“愛”にはファンとしては色々と感極まる物を与えてもらいました。
でもやっぱこのゲームの“愛”の集大成はEDですよね。
マナの樹でようやく再会したあの2人。
このEDを見ると攻略本の表紙の意味が分かり、それ見るだけでこちらとしては号泣もんの表紙に見えてしまいます。
ついにナンバリングも進んだ聖剣シリーズ。
4が2006年にPS2で出て今や2024年でPS5が出ている時代ですもんね。
でもこれだけ空いても外伝やリメイクで繋ぎ続け、ついに歩みを進めることが出来た。
なんかファンも含めて色々と“愛”が詰まった5なんだなと思いますね。