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野生の島のロズ見てきました。
個人的には予告の段階、前評判、これら全てからメチャクチャに期待値を高めて、さぁ泣いてくるぞ!と思って臨んだ映画だったのですが…?
はい、もう号泣じゃ済まねえよこの映画!
ダメです、自分はこういうアイデンティティの確立や親子の話には弱くてしょうがない。
あるべき姿から外れた、でもありたい姿ではあり続けた美しい親子の物語に完全にやられました。
目次
あらすじ
無人島に漂着した最新型アシスト・ロボットのロズは、キツネのチャッカリとオポッサムのピンクシッポの協力のもと、雁のひな鳥キラリを育てるうち、心が芽生えはじめる。ロズの優しさに触れ、怪物として彼女を拒絶していた動物たちも、次第に島の“家族”として受け入れていく。いつしか島はロズにとっての“家”となっていくのだった。渡り鳥として巣立っていくキラリを見送り、動物たちと共に厳しい冬を越えた頃、回収ロボットが彼女を探しにやってくる。果たして、築いてきた動物たちとの絆から引き裂かれようとするロズの運命は!?島の存亡をかけたロズと動物たちの戦いが、いま始まろうとしていた──。
公式サイトより
あるべき自分よりありたい自分で
この映画、ボロッボロに何度も泣かせてもらいました。
こういう生まれ持ったあるべき形よりも自分の中で芽生えたありたい自分にアイデンティティを見出す映画っていうのは自分はもう耐えられない人間みたいです。
そこまでボロボロに泣けるのもこの映画、メチャクチャ丁寧にその過程を描いているからの賜物とも言えます。
この映画の上手いところは冒頭で何の説明もないままに(映画好きなら他の映画見る際に流れる予告などでバレちゃっているのは勿体無いところ)ロボットのロズが島に放り出されているところから始まるんですよ。
何も状況が分からないままに自分のあるべき形であるお手伝いを求めて奔走するも島の動物からは恐れられ、嫌われてしまう。
この孤独感を最初に共有させた上で翻弄されるロズ自身が結果として雁のキラリの親や他の卵、つまりキラリの兄弟ですね。
それらを奪わせてしまった上で生まれたキラリの親となりあるべき仕事を手に入れるというこの構図。
予告だけから受ける印象だとこんな容赦ない形で2人を出会わせるのかと予想していない形だったんですが、
でもだからこそ、この映画における2人の関係性にしっかりと向き合っていいるんだなと感心しましたね。
というか序盤は容赦なく動物達の弱肉強食の構図をちょいちょい見せてはくるんですよ。
これが後々の島の形の変化に繋げるためとはいえ、ここから逃げないのはやっぱ偉いとしか言いようがない。
そしてロズが親として育てるキラリは後に真実を知って反発をするのですが、でもこのキラリは本来の自然のあるべき形なら他の卵から生まれるヒナと比較すると小さく弱い個体だった。
ロズの起こした事故、そしてロズが育てたからこそキラリは島で生き残れたんだというのは、
ただのキラリにとっての衝撃的な事実の材料にするだけでは終わらせない良く出来てんなぁと言いたくなる話の流れですよね。
そしてロズにアドバイスする島では嫌われ者のキツネのチャッカリ。
このそれぞれ別の孤独を抱えながら共に生活する3人は島のあるべき形からすると、とても異常な形。
でもその異常な3人を見ていくからこそ島の動物達もあるべき形から外れていくようになる。
何よりもやっぱこのロズの成長ですよね。
ただのロボットで心なんて無いはず、でもキラリの親として過ごすうちに確かな「個」が芽生えていき、元の機能としてではないありたい自分に目覚めていく。
子供から真実故に反発されても、それでも巣立ちのために頑張る姿なんてどれだけ反抗期に酷いことをされてもそれでも愛し続ける母親の姿ですよ。
このキラリの巣立ちまでの親として奮闘する流れでもうボロッボロに泣くに決まってますよね。
そしてキラリの巣立ちの後でも今度は島の動物達のために厳しい冬を越させるためにみんなを自分の家に集めて身を粉にして救い続ける。
キラリを育てる姿と自分達のために動くロズを見て、島の動物達も弱肉強食のあるべき姿から変わっていくんですよ。
ロズがあるべき姿から離れて確立したありたい「個」を得る話なら、この島の形はあるべき「個」から種族を超えたありたい「群れ」の姿ですよね。
序盤で弱肉強食の形を見せていたからこそ、ここで起きた出来事がどれだけの奇跡の形なのか分かるんですよ。
もうここで2回目の大号泣。
こちとら異種族の親子で泣きに来たつもりだったのにこんなところでも泣かされるとは思わないじゃん。
でもここもちゃんと丁寧にやってくれたからこそクライマックスの超号泣に繋がるわけですよ。
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本当よく出来てる。
最後は冬を越して戻ってきたキラリもいる中で強制的に元の場所に戻されてリセットされそうになるロズを島のみんなで救おうとする。
救われたからこそ救う、ここの理屈じゃない島の動物達とロズの姿にまたまた号泣しながらも熱くなり、
しかもここアクションまでとんでもなく出来がいいから見どころ多すぎて困っちゃうんすよ。
ここまでに来る動物達の動きや個性、イタズラからロズが動物達から学んだ真似事、
これら全てを連携させたアクションをスピード感マシマシで見せてくれるんで、シンプルに映像的にもここは見応えがありすぎる。
そして最後はシャットダウンされてロズを救いにきたキラリの「ママ」の一言。
子供の反抗期の終わりであり、母として完全に確立されたプログラムも機能も全て超えて目覚めるロズ。
理屈でも理論でもおかしい現象こそがこの親子の結末を彩るには相応しい美しさ。
もうこんなん超号泣ですよ。ここで泣かないなんて出来るか?いや絶対もう無理です。
ラストも島のために自ら回収されて行くロズでしたが、それでもキラリに「ママ」と呼ばれたことで目覚めたあの現象、それによってプログラムを超えた自分の「個」を信じて戻っていく姿からのラスト!
人間のところで「個」を無くして働いていたところに飛んできたキラリを見て再び島での名前「ロズ」を思い出して名乗る。
もうマジ無理、こんなラスト見たら涙腺が耐えられない…
話自体はアイデンティティの目覚めですから、絶対に号泣する話ではあるんですよ?
でもそれで何度も泣くどころか号泣させられるのはやはり過程が丁寧だからこそなんですよ。
この手の話は今やなぜか人を使ってはやりにくくなっているプロットではありますが、でも絶対にどんな人生においてもこのあるべき自分よりありたい自分というのは胸に抱えておくべきもんなんですよね。
それは出来るかどうかじゃない、自分なんてそれこそ自分の人生においては諦めてもいる部分ですが、
だからこそ創作でそれを見せられると胸を打たれて感動しますし、一過性の活力だって湧いてくる。
映画だからロボットや動物だから描けたこの素晴らしき人生譚。
水分が無くなってからも目から水分が出るくらいに感動する。本当にいいものを見させてもらいました。
まとめ
泣きにいったのは確かなんですが、泣いたどころじゃ済まなかったし、本当にいい親子の話を見れました。
一言で敢えて陳腐な言い回しをすると、泣くほど美しい映画ですね。でもそれ以外言いようがない真っ直ぐなんだもん。
それにしてもあるべき姿よりありたい姿。
こんな気持ちを持てていた時代もあったなぁと染み染みとしてしまいましたよ。
汚れちまった大人の視点としてはロズによって共生出来るというのは人の手が入った自然で生態系の破壊なのでは?と思ってしまう心もあるのですが、
でもこんな純粋さから離れちまった考え自体が無粋ではあるんでしょう。
昨今映画も色々な物に振り回される時代になったからこそ、こういう真っ直ぐな映画は見た方がいい。
そして穿った目や心で見るのではなく、昔みたいに全てを素直に受け止めて、自分みたいに体の水分を全て無くして映画館から出てきましょう?
この映画はそんな真っ直ぐさと感動が保証された映画なんですから。
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