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監督
ダスティン・フェアバンクス
脚本
ブレアン・マットソン
出演者
タミー・ブランチャード
ギレルモ・ディアス
デヴィッド・スペード
ブルース・ダーン
ジェームズ・アール・ジョーンズ
今回はアマプラにて視聴の映画、ウォーニング・ショット 警告(原題:Warning Shot)の感想。
利権というものは常に事件が付き纏う、それが生きていく上で必須な物であれな尚更。
今回はその1つである水利権に纏わる凄惨な事件から着想を得て作られた映画だと思ったのですが、いざ蓋を開けるとどこかピントがズレてきて…?
まぁよくある社会派映画として見ても主張がとっ散らかってしまったB級映画なんですが、
今回は元々の主題が珍しいのでちょっと勿体無さを強く残したなと感じてしまう内容でありました。
ジャンルはスリラーで上映時間は約87分となります。
目次
あらすじ
娘を守るため、母は強くなる―。
Rakuten TVより
シングルマザーのオードリーは、娘シャイアンを育てるため必死に働いていたが、困窮に陥り家からの立ち退きを求められていた。そんな時、オードリーに亡くなった祖父からの遺産を相続する権利が与えられる。貧困から抜け出せることを期待し安堵するも、実は彼女の知らないところで、祖父が保有していたという水利権を奪う企みが進行していた。遺言書の開示まで1週間と聞いたオードリーは、シャイアンと共に祖父が住んでいた家を訪れる。しかし庭の片隅に積まれた木材の影に潜む男の姿に気づくのだった。急いで逃げようとするオードリー親子に銃を突きつけた男たちは、水利権を移譲する書類にサインをするよう脅す。
ウォーニング・ショット 警告を配信している配信サービス
※2024年10月5日時点
見放題 | レンタル | |
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登場人物
・オードリー
娘を1人で育てるシングルマザー
家の立ち退きを求められるほど困窮しており、祖父の遺産に頼る
祖父の遺産の中にあった水利権の譲渡を求められボビーに雇われたレイニー達に監禁される
・シャイアン
オードリーの娘
・ボビー
オードリーの祖父が保持していた水利権を狙う男
レイニー達を雇い祖父にサインをさせようと目論む
・レイニー
ボビーに雇われた男
粗暴な男で監禁したオードリー達に度々手を出そうとする
・ジャワリー
ボビーに雇われた男
レイニーよりは理性的でオードリーとは対話で解決しようとする
・デヴィッド
宗教勧誘のためにオードリーの祖父の家を訪れた男
不幸にもオードリー達の監禁されたタイミングであったため事件に巻き込まれる
ざっくり概要
まずはいつも通り途中までのあらすじから。
娘のシャイアンを1人で育てるシングルマザーのオードリー。
彼女達は家の立ち退きを要求されるほどに生活が困窮していた。
そんな折、祖父が亡くなり葬儀が行われる。
祖父のために墓参りに残る親戚は少なく彼と連絡を取っていた親族はオードリー達だけ。
オードリーはそのことから祖父の遺産が自分達に遺されたのでは?と期待をする。
一方、生前のオードリーの祖父ととある事情でやり取りをしていた男ボビーはレイニーとジャワリー、2人の男を雇い祖父と改めて“交渉”を進めようとしていた。
ボビーが狙っていたのはオードリーの祖父が所有していた水利権。
ボビーは自身の祖父の期待に応えたいがためにオードリーの祖父が既に亡くなっていることに気付かず強引な手法で水利権を奪おうとしていた。
ボビーに雇われた2人はオードリーの祖父の家に乗り込むがそこには誰もおらず周囲を散策し始める。
そしてタイミング悪く、やってきたオードリー達はレイニー達により捕まり監禁されてしまうのであった。
祖父と水利権について聞き出そうとするレイニー達に既に祖父は亡くなったこと、そして水利権については自分は何も知らないことを伝えるオードリー。
遺産については彼女に渡ると確信したジャワリーは大人しくボビーがここにやってくるのを待つことをレイニーに提案するが、粗暴なレイニーはオードリーに対して“奉仕”を求めようとする。
それを咎め口を挟もうとしたジャワリーを気絶させオードリーとシャイアンに手を出そうとするレイニー。
だが、その時玄関のベルが鳴る。
尋ねてきたのは宗教の勧誘のためにやってきたデヴィッド。
追い返そうとするレイニーだったがデヴィッドは中で何が行われているのか気付き、逃げようとする。
しかし、彼もまたレイニーにより気絶させられてオードリー達と共に監禁されてしまう。
目覚めたデヴィッドに対して拷問を行い、彼自身の口からオードリー達を見捨てようとして逃げようとしたことを告白させるレイニー。
その最中でジャワリーが目覚め、今度は彼がレイニーを気絶させるのであった。
レイニーが気絶している間に水利権の権利を譲渡して対話で解決しようとするオードリーとジャワリー。
しかしレイニーはジャワリーに睨まれながらもオードリー達を挑発し続け彼女に自身の身の上話をすることを要求する。
ジャワリーがそれを咎めることはなく彼の要求通りに自分の身の上話をさせられるオードリー。
現在はウェイトレスをしていて高校では卒業生総代だったこと、シャイアンをとある事情で身籠ったことで大学は中退するしかなかったことを告白する。
それを聞いたレイニーは現在のオードリー自身の苦境はシャイアンの存在によって生まれたことだと彼女達を揺さぶろうとする。
それでもオードリーはシャイアンを産んだことを後悔せず自身の宝物だと混乱するシャイアンに強く言い聞かせるのであった。
オードリーとレイニーのやり取りを聞いていたジャワリーは今度はレイニーの家族について聞く。
レイニーは詐欺師の父親の元に生まれ6歳の頃から父の手伝いをしていたことを語り出した。
そして12歳の時に盗みに入った家でまだ家にいた家主の妻を襲い、家に帰ってきた家主に撃たれて自身の目の前で死亡したこと、
そしてその後施設送りになり社会の厄介者になったことを告白する。
レイニー自身の苦境、オードリー達親子の関係性、そして神を信じると言いながらも我が身可愛さに逃げようとしたデヴィッドへの欺瞞に対する不満。
レイニーのフラストレーションが溜まり出した時、事態はより最悪な方向に向かっていくのであった…
主張があまりにも散らばってしまっている
本作は一応は実話を元に製作された映画だと冒頭で説明される映画。
その冒頭と最後で出てくる一文が、
“生命のない所に水はあるが水のない所に生命はない”
シルビア・A・アール
“井戸が枯渇し水の価値に気付く”
トーマス・フラー
と、このような一文と共に実際に起きたであろう凄惨な事件現場が映し出されるのです。
これを見ても水利権、つまり水を巡って起きた争いについて語ろうとしているのが本作の本来の筋であったと推察出来るのですが…
実際に蓋を開けるとこの水利権の争いはシチュエーション作りに使われているだけで、
中身は他の社会的な主張を語り、しかもそれすらも大分とっ散らかってしまった内容となっていました。
そのシチュエーションというのが貧困により困窮しているシングルマザーの母オードリーとその娘シャイアン。
2人が祖父の遺産を譲り受けて水利権を得るというところから始まり、
そしてそれを狙う人間に雇われた男レイニーとジャワリーの2人に監禁されるというシチュエーションです。
この映画、このシチュエーション作りでメインのはずの水利権の役割というのがほとんど終わってしまっているんですね。
その後は監禁した男のうちの1人レイニーが勝手に暴走してオードリー達を襲ったり、たまたま訪れたデヴィッドも監禁したり、仲間割れしたりなどするだけ。
しかもその際に半ば脅しのような形で行われるディスカッションだけがこの映画のメインとなってしまっているんですよ。
そのディスカッションの内容というのも社会的な要素を盛り込んでいるんですが、主張も内容も滅茶苦茶とっ散らかっているんですよね。
オードリーとシャイアンの困窮する親子についての親子愛の話や真っ当な家庭環境にいなかったレイニーの話、宗教について神の救いについて語るデヴィッドに対して自身の境遇からそれを否定するレイニーなど。
こんだけ散らばった話を大して結論も出さないのにずっと問答を続けて残り30分くらいを迎えるんですよ。
いや、話的には本作が社会派な映画なのは分かるんですよ?
オードリーとシャイアンの女性2人の困窮に対して食い物にしようとする男連中とかここら辺なんかはよくあるメッセージです。
でもこの映画の社会派としてメインで描こうとしていたのは水の権利を巡った凄惨な話でしょう?とは言いたくなるんですよ。
水の話がいつの間にか搾取される立場にいた女性側が男に反撃するみたいな話にすり替わっていて、
冒頭とラストの水についての一文に何の意味があったんだ…と。
神に縋るも臆病だったデヴィッドの成長とか、オードリーがシャイアンを産んだ経緯とか、
そういう本来枝葉のはずの要素がメインになってしまっていて水についての話は置いてけぼり。
それでいてラストで水の権利は既に州に譲渡されていたのでこの話はそもそも何の意味もなく対話で解決出来たよとかそんな皮肉な結末を見せられても(゚Д゚)ハァ?って感じですよね。
この皮肉な結末も徹頭徹尾水に纏わる悲惨さだけで進行していれば虚しさも感じられたんでしょうが…
男達は全員死亡するか落胆して女性である母と娘は生き残るというのを見ても、間違いなく途中で見せたい主張が切り替わってしまった感があるんですよね、この映画。
それすらもどこか半端なんですが。
正直そんな他でも見れるよくあるメッセージなんかよりも、
水の利権とそれによってもたらされる利益、そしてそこに纏わる凄惨な背景。
これらをもっとしっかりと掘り下げた上での人間の醜さというのを見せるのが、
水利権に纏わる事件を題材に選んだこの映画の本来の使命なんじゃないのか?とどうしても思わざるを得ませんでした。
溜めに溜めた反撃パートも何か優れている訳でもないのでスカッと感もないので、
これがまた水利権を使って作ったシチュエーションを無駄にしまっているのがまた何ともかんとも…
まとめ
主張は1つに纏めようねと思うような映画でした。
スリラー的なシチュエーションとしても何か盛り上がりにかけますし、主張のピントもズレてしまうとなると、
この映画の独自の良さは?と疑問符はついてしまうんすよねぇ。
水利権というものに纏わる凄惨な事件という部分に着目した社会派映画というのは絶対に良い部分だったはずなんですが、
それをありきたりなスリラー展開のシチュエーション作りだけに使ってしまい、
しかも社会派なメッセージの方はありきたりな主張にしてしまったのは自分で強みを捨て去った感がして…うーん、勿体無さを感じてしまう。
社会派としては手垢のついた主張になってしまい、スリラー的にも凡庸と、
やっぱ最後まで水の価値と利益、ここに着目して話を進めてくれた方が独自性が出せたんじゃないかなぁ。
まぁここら辺は好みの範疇でしょうが、自分的にはちょっと期待していた物から刺さるポイントがズレてしまっていた映画でした。
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