【ゲーム雑談】いつの間にか無駄や余白を楽しめなくなっていた男

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今回はすんごい個人的なゲームについての話。

タイトル通りなんですが自分がいつの間にかゲームにおいて無駄や余白という物を楽しめなくなっていることに気付いてしまったという話です。

そんないやーな気付きを得てしまったのが聖剣VoMの体験版の記事で書いたこの部分。

聖剣伝説 visions of mana 体験版 感想 今のところは期待を下回りも上回りもしないといった感触

これを書いている時、いや、寧ろゲームをプレイしている時に自分のこの感じ方に嫌な感覚や疑問を感じたのです。

何か自分のゲームをプレイする姿勢や感覚、捉え方がおかしくなってないか?と。

そう、だだっ広く何も無い空間を進むという行為に対してただの無駄な行為としか捉えられず、
かつての若き自分が行えていたはずの想像という物を働かす能力が著しく落ちていることに気づいてしまったのです。

こうなった原因、まぁ自分なりに色々と考えられはするのです。

例えばゲーム側の変化から受けた原因としてはシンプルにグラフィックの進化。

ここら辺はリアルに立体的になっていくごとに描写に対して想像の余地が減っていき、
今映っている光景以上の世界が広がっているんだろうなとは思えなくなっているなと。

もう1つはボイスが付くのが当たり前になって旅の道中で定期的な会話が行われること。

これ自体は今や当たり前のことですし全然良いことではあるんですが、
逆に会話が行われていない時には何も起きていないんだなと感じてしまうようになったのも確かなんです。

何と言いますかゲームの世界への臨場感を増すために進化が逆に想像力を働かす場面を奪って没入感を損ねてしまっているなと感じたわけですね。

それこそこれを思った聖剣VoMもグラフィックは進化して細かく世界が描写され、
その旅の道中で映し出されている世界に対してキャラクター達が定期的に感想を述べるようになっています。

でもキャラクター達が何も話さなくなったら、ただ無となりその臨場感は無くなってしまうし、
アイテムを取り尽くし何も得られなくなった広い世界をただ歩いているだけのように感じてしまったのです。

老害丸出しな意見を言うと昔はこういう無駄とも言える移動による余白というのは、
ランダムエンカウントによる戦闘や成長、思わぬ敵との遭遇からの敗北などで自然とドラマを生ませて補っていました。

ドラクエなんかはもろにそういうゲームデザインだったと思います。

そして最初から道中で何も話さないからこそ頭の中で会話や関係性を妄想したりなどして脳内で無駄や余白を補っていたんですよね。

でも今の自分はそんな無駄や余白を楽しめず…というよりは想像や妄想を展開出来なくなり、
周回プレイ時でもない1周目のプレイ…何なら今回に関しては体験版のプレイにも関わらず、
攻略の効率さだけを求めてしまっているなと自身の脳の性能の低下やゲームに対する姿勢の衰えを感じたわけですよ。

昔はゲームを楽しむことを優先して無駄や余白すらも受け入れていたのに、今はクリアだけを優先してそれらを忌避して効率だけを求めているようなこの感覚。

これらは先に言った通りグラフィックの進化やボイスの追加、こういったゲームの進化により臨場感が増した代わりに没入感が失われた。

こういった要因も影響はしているのは確かではあるんですけど、
ただそれ以上の1番の要因は自分が加齢により無駄を楽しむ余裕や想像の余地という物を失ってしまったのかもしれないなと。

ですが自分は今回この気付きを得られることが出来ました。
そして気付きを得れば意識をしてプレイすれば姿勢を正すことも出来るかもしれない。

なので今回この気付きを得させてくれた聖剣VoMを通して改めて効率だけを重視せずに無駄や余白を楽しむ人間に戻れるようになりたいなと思います。

今回はあまりに個人的すぎるすんごいどうでもいい話でしたが、案外似たような感覚を持ってしまった加齢を重ねたゲーマーという人もいると思います。

なのでこれを機会として改めてゲームへの姿勢を童心に戻し、
共にどんなクソゲーでも没入していたあの頃に戻れるように脳と気持ちを若返らせていきましょう。


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