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製作国
韓国
監督
イ・チャンウォン
出演者
チン・グ
カン・シニル
チャン・ヘジン
パク・イェニ
キム・テフン
今回は以前にも平平男女を紹介してくださった、大元拓也さんから紹介していただいた韓国映画、僕にはとても大切な君(原題:내겐 너무 소중한 너/You’re So Precious to Me)の感想。

『僕にはとても大切なあなた』という邦題になっている物もあるそうで。
打算的な理由から繋がり始める男と少女の関係、その関係性が徐々に変化していく…と、こんなん泣く準備しとかないといけないじゃんと思うようなあらすじ。
そこに強い社会的なメッセージも入れてある本作でしたが、実際に自分はどれくらい号泣するハメになったのか…!
ジャンルはドラマで上映時間は約100分となります。
目次
あらすじ
お金を除いて世界に怖いものなどなかったジェシクは、突然この世を去った従業員ジヨンの財産を目的に、ジヨンの娘であるウネの父親を演じることに。しかしジェシクは後になって、ウネが視覚と聴覚に障がいをもつ子供だと知るのであった。見ることも聞くこともできないウネとの生活に苦痛を感じていたジェシクだったが…。
Amazon Prime Videoより
この映画を配信している配信サービス
※2025年7月8日視点
見放題 | レンタル | |
Amazon Prime Video | ◯ | ✖️ |
Netflix | ✖️ | ✖️ |
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登場人物
・ジェシク
事務所を運営しているチンピラ紛いの男
従業員であるジヨンが亡くなり、彼女の遺産目当てにジヨンの娘であるウネの父親を騙ることを決める
・ウネ
ジヨンの7歳の娘
目と耳の両方に障害のある盲ろう者
ざっくり概要
ここからはいつも通りに途中までのざっくりとした内容を。
事務所を運営している男ジェシク。
ある日従業員であるイ・ジヨンの訃報が入り、彼女の遺体の確認をするも、彼女の身内には7歳となる娘しかいなかった。
ジヨンの住居を訪れるジェシク。
荒れた室内にいた彼女の娘ウネは視覚と聴覚に障がいのある盲ろう者だった。すぐにジヨンの元夫に連絡をするジェシクだったが元夫は既に別れたと逃げるように電話を切ってしまうのだった。
女手1つでウネを育てていたジヨン。家を追い出されたジェシクは彼女の遺産を目当てに1ヶ月間ウネの父親を騙ることを決める。
ウネとの生活を始めるジェシクだったが、目も見えない、耳も聞こえない彼女との生活に悪戦苦闘する。
学校の視覚障害クラスに連れて行っても騒いでしまい上手くいかない。そして“盲ろう者”という障害は法律に規定されておらず、耳と目、どちらかの障害に対する学校はあるが、両方の障害を持つウネに対する学校や社会保障は整っておらず、入学を断念するのだった。
入学を諦めたジェシクは文字の形をした玩具を買い部屋でウネに文字を少しずつ教えていこうとする。
そんな最中で裁判所からの命令でジヨンの持ち物などが差し押さえられてしまい、目的だった保証金も同じように差し押さえられてしまう。
仕事もうまくいかずに昔は弟分だったが今は社長のチョンチルに貸した金の担保として営業権を奪われてしまうジェシク。
その夜自分の従業員に接待をさせようとしているチョンチルを目撃して彼を暴行してしまう。
クレジットカードも止められ、現金も残り僅かに。
そんな時ジヨンのスマホを調べていたら、彼女が井邑にいる“おばさん”に3000万ウォン近く金を貸していたことが発覚する。
ジェシカは金のためにウネと一緒に井邑を目指すのだった。
所詮は金のため
金のために父親を騙る男ジェシクと目と耳に障害のある盲ろう者の少女ウネの織りなす社会派映画。
当然徐々に関係が深まるという構図なのですが、その展開はとても丁寧になっている映画です。

しっかりと時間的に3分割で関係性が発展するようになっている配分。
なので関係性がない序盤は本当に主人公であるジェシクの態度や行動は投げやり感があります。

所詮は金のために騙ることになった父親なので、最初はコミュニケーションが手探りであるのを差し引いても雑。
目も耳も見えないので感情表現は周囲の物を叩いてみたり、叫んでみたりと、どうしても得られる情報に限りがあったが故の成長の遅れなどが見えるウネ。
そうなってくるとある程度ルーティン的な行動が大事になるのに、決まった場所に置いてあるウネのパンを勝手に捨てて別のものを食べさせようとしたり、最初は彼女を混乱させるんですよ。
要は自分本位、見えない聞こえないウネに合わせるように生活をするのではなく、自分がやりやすいようにしようと動くんですね。

ただそれを繰り返すうちにウネをじっくりと“見る”、ウネの考えを観察するようになってカーディガンの匂いで落ち着くことが分かるなど、この段階でもほんの少しだけ進む関係性もあるのが救いではありましたね。
社会からこぼれ落ちた存在
中盤になるとウネをとりあえず障がい者支援の学校などに連れて行ってみようとするジェシク。
ここでこの映画の伝えたいことでもある届かない保障の手の不備が明らかになっていきます。
ウネは目と耳の両方に障がいのある少女。この盲ろう者に対する社会保障というのは韓国ではまだ法律に規定されていない。どちらかの障害であれば、支援も学校もある、なのに両方になると支援の手が届かなくなってしまう。
つまり社会保障の枠組みではウネはこぼれ落ちてしまった側の存在なんですよね。
そんなウネに対してジェシクは文字の形をした玩具を買って家でウネに言葉を教えるようになる。
ここでの心情はまだはっきりとしませんし、実際にウネに対してはどっちつかずの狭間にいたのでしょうが、彼女の現実を知ってまたほんの少しだけウネ優先で物を見るようになったのでしょう。
そんなジェシクも徐々に社会からはこぼれ落ちていく。
こちらは自業自得な側面が強すぎますが、金を返せずに営業権も奪われて、クレカも止められ、現金も無くなっていく。
結果としてジェシクとウネは社会からこぼれ落ちてしまった同胞になってしまうんですよ。
そしてこの映画にはそれに対する救いは正直無いです。
これは韓国映画らしい部分ではありますが、あくまでこの2人が共に進んでいくという形で終わるに止めており、社会が変わるわけではない。
エンディングで、
韓国には盲もう者が約1万人いるとされています。
彼らを積極的に支援出来る法制度が整うことを願います。
このようなメッセージが出ることからも明らかな通りに、あくまでこちらに突きつける問題であり、ジェシク達が解決出来る問題ではない。

なのでこの映画を見た上で社会に何がしかの変化を促すことを祈る映画なんですよね。
実際にここら辺は韓国だけならず、日本でも調べてみたら、就労割合は低く絶対数の問題で支援優先度が下がりがちという部分があるのかまだ行き届いていない。
自分はこの映画を見たからといって何か行動を起こせるような人間では残念ながらないのですが、それでも流石に平然と悪意のある発言するような恥のある行動はしないようにはしようと改めて襟を正された気分にはなりましたね。
僕“には”大切な君
この映画のタイトル『僕にはとても大切な君』。
全てを見るとすげえ秀逸なタイトルだなぁと思いましたね。
このタイトルにこの映画の社会派な部分とジェシクとウネの関係性の結末。全てが詰まっていますもん。
後半はジヨンが金を貸した相手を探すために田舎町に来るロードムービー的な部分が少し挟まるんですが、そこでの2人の関係性の変化が本当にもう美しい。
田舎らしく人がジェシクとウネに優しく、こぼれ落ちた人間がまた拾われるような暖かさがあり、それによって生まれたほんの少しの余裕。
田舎町で雨の中外に出たがったり、そして外でぬかるみを触って楽しんだり、ひよこを触って喜んだり、
これで見ている我々も彼女の喜びとは反面にウネが嗅覚と触覚だけでしか世界と繋がれていないことが痛いほど分かるんですよね。

ほっこりするべきか、涙するべきか、こちらの感情もここら辺はグチャグチャですよ。
そしてウネに優しい人々ということは、この人々もウネ自体を見てくれる存在ということでウネの行動の意味も少し教えてくれるんですよね。
ウネは途中から食べた物を口から出してジェシクに出して渡そうとするんですが、それが彼女なりの拙い愛情表現だと言うことに気付かせてくれる。
美味しい物を食べたから、相手にも美味しいものをお裾分けしたい、他にも共有したいという思いもあるのでしょうね。
そうやってここらでジェシクがウネに対しての愛情が急速に変化したところでの行方不明騒ぎ。
世話になっていたヨンジュのおそらく認知症?のお父さんがウネを連れてどこかに行ってしまう。
幸いにも何もなく見つかるのですが、ここでウネがいなくなったことの感情でジェシクは明確に自分のウネに対する愛情に気付けたんだと思います。
そして愛情を抱いたからこそ、ウネのためにジェシクは動き出すんですね。
ウネの父親に連絡を取り、おそらくは引き取ることを望んだのでしょうが、結果として覚悟がないのか金とぬいぐるみだけを渡して頭を下げて放棄してしまう。

ここを見ると愛情がないわけではなさそうなんですよね。ただ社会の保障からこぼれ落ちた存在であるウネと生活をする覚悟がないように見える。
それに対するウネの父親に対する感情は各々に委ねますが、愛情があっても引き取る覚悟がないという部分に何が作用しているかは単純な形で断じて切り捨てるのではなく思いを馳せてもいいんじゃないかなと考えます。
そしてウネの父親に頼らないことが分かったジェシクが向かう先は障がい者福祉施設。
自分も社会からこぼれ落ちた存在でウネを育てるにはお世辞にもいい環境は用意出来ない。それならとウネを施設に預けることを決断するわけです。
最後に好きなパンを渡して、ひっそりと立ち去るジェシク、そしてジェシクがいないことを察して混乱して探すウネ。
入り口の前で泣くウネを見てジェシクは戻ってきて、もうそこからね、号泣ですよ。

ジェシクの手のひらにこれまで教えてきた言葉の“涙”と書き、そして自分を叩いて自分が誰なのかを聞いて“ウネ”と教えられておそらく初めて自分で自分の名前を知るんですよ。
そして最後にウネはジェシクを叩いて、ジェシクが自分にとって誰なのかを問いかける。
そこでジェシクが教えた言葉は、“パパ”
もうこんなん泣きますわ、号泣ですわ。
上でも書いた通りにお互いにまだ社会からはこぼれ落ちた存在のまま、でもこの2人の関係性はしっかりと定まった。それが定まったなら進む道だってもっと明確になるはず。
例え社会からこぼれ落ちて他人からは路傍の石であろうとも、ジェシクからしたらウネは『僕“には”とても大切な君』なんですよね。
本当この展開を見て、このタイトルの強さを知って号泣しっぱなしでした。
まとめ
泣いた、泣きましたよ。
伝えたい社会的なメッセージに加えて、2人の関係性の変化の丁寧さが見事。
そして安易な救いのある結末ではないもののそれでも登場人物達が前に進むであろう希望が見えるラストにしているのは韓国映画らしい良さですよね。
全てを見た上でのタイトルの良さも光りますし、そして何よりウネ役の子役の子の演技。
これはマジですごいです。盲ろう者という難しい役でありながら、視線の置き方、歩き方や感情の発露の仕方が子役がやれていいそれではないです。
この映画を感動出来るようにしたのは間違いなくこのウネの演技だったと断言出来る。それくらいの演技でしたね。
この映画を見た上で何か出来るわけではないと語りましたが、ただこの映画を見るきっかけを増やすことが結果としてこの映画の祈りが届くことの一助になるのではないかなと思い自分もそのきっかけになるように感想を残したいと思います。

本作を紹介してくださった大元拓也さんには改めて感謝を申し上げます。
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