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製作国
韓国
監督
イム・ジファン
出演者
イ・ボヨン
パク・ビョンジン
今回はアマプラにて視聴の映画、ゾンビ・ファイター(原題:좀비파이터、Zombie Fighter)の感想。
ゾンビが蔓延るディストピアで安全な世界に行く金を稼ぐために、
ゾンビ同士を戦わせるという悪趣味な娯楽の世界の中でゾンビに扮して戦うという。
この設定面に惹かれて視聴した訳なのですが…
まぁやっぱりB級だからかゾンビ描写や世界観設定の甘さが目立つ結果となり、やっぱりB級相応。
何よりラストでタイトル回収する展開なのにカタルシスが無いのが結構な不満点として大きい映画となっておりました。
ジャンルはホラー・アクションで上映時間は約70分となります。
目次
あらすじ
世界中をゾンビウィルスが覆い、限られた人のみ各地の”安全地区”で暮らすことができる。安全区域外でゾンビ同士を戦わせる賭けデスマッチに、主人公の地下格闘家はゾンビを装い出場。賞金を荒稼ぎしていたが胴元に正体がバレて娘の命を守るために本物のゾンビになって試合に出場する―-。
FODより
ゾンビ・ファイターを配信している配信サービス
※2024年7月8日時点
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登場人物
・ベイン
隔離区域に住む娘サラと暮らす元ボクサー
安全区域に住む金を稼ぐためにゾンビしか参加できないアンダー・グラウンド・ファイト・クラブにゾンビと偽り参加している
・サラ
ベインの娘
・イェジ
ベインと組む女性
特殊メイクを得意としておりベインのゾンビメイクを担当している
・ユジン
ベイン達と組んでいる医者
試合後のベインの診察を担当している
・管理者
“若様”と呼ばれるアンダー・グラウンド・ファイト・クラブを運営している社長
安全区域を自由に出入りして血清のカプセルを入手している
ざっくり概要
まずはいつも通りのざっくりとした中盤までのあらすじから。
突如人類を滅亡の危機に追いやったゾンビを発生させるウイルス。
生き残った少数の人間は自分たちだけの安全な領域を築き武器を集めゾンビとの戦いを宣言した。
その戦いの中で研究者達はゾンビのとある生態の解明に成功する。
ゾンビの標的は人間の血清であること。
そして未感染の人間の血清をカプセルに入れてゾンビの体に移植すると、そのゾンビは他のゾンビから攻撃されることを。
ゾンビを捕獲するハンターから研究者に提供され、その実験台として使われたゾンビ達はファイト・クラブに高額で提供された。
人々の娯楽として…
時が経ち、人口と共にゾンビが減少したにも関わらず管理区域から安全区域への通行料は以前として1人1500万ウォンと未だに高額だった。
その安全区域の外、管理区域に住む元ボクサーベイン。
彼は娘のサラと安全区域に住むために特殊メイクが出来るイェジ、医者のユジンと組んで、
ゾンビ同士を戦わせる闘技場、アンダー・グラウンド・ファイト・クラブにゾンビに扮して参加していた。
圧倒的な強さを誇り勝ち進むベインに運営側は新しいゾンビのマッチ相手を探すことに苦慮する。
そこにベインと組むイェジが値段交渉のために現れる。
そこでイェジが聞いたのは運営の社長であり管理者である“若様”の話。
“若様”はゾンビ同士を争わせるカプセル入手のために安全区域の中と外を自由に出入り可能な立場であると聞かされ、
イェジは安全区域内でもファイト・クラブの設営がなされようとしていることを感じ取る。
値段交渉には成功したイェジは早速ベインに伝え、ベインは次のマッチアップであるジェイソンとの戦いに備えることに。
そして試合当日、巨体なゾンビであるジェイソンに苦戦しながらも辛くも勝利するベインであったが、
これまでのゾンビとの戦いで負ってきた傷は確実に彼を追い詰めていた…
試合後のユジンの診察で脇の傷がゾンビのそれのように膨らんでいるベイン。
ユジンは懸念を示しながらもサラにそれとない注意を促しベインを帰らせる。
ベインとのジェイソンとの対戦後、ゾンビを調達するハンターはクラブ側からの直接の依頼で無傷で大きく俊敏なゾンビの調達を依頼されていた。
地下水路でゾンビを見つけるも無傷での捕獲という条件のせいで次々と犠牲になっていくハンター達だったが、何とか1人のゾンビを捕獲することに成功する。
一方傷を癒すために安静にしているベインの耳に管理区域でのゾンビ鎮圧のニュースが入る。
鎮圧の過程で多くの犠牲が出たというその内容に管理区域内は未だに危険だと悟り、次なる対戦のために無理やりトレーニングを再開する。
時を同じくしてイェジは運営と“若様”に捕まり、連行されていた。
“若様”がイェジを連れてきたのはとある事を聞き出すため。
「ベインは人間だろ?」
その言葉に最初は白を切るイェジだったがその態度を見た“若様”は彼女にとある物を見せる。
それはゾンビになっていたユジンの姿。
仲間の変わり果てた姿に動揺するイェジに“若様”はゾンビの調達経路について話出す。
闘技場に参加しているゾンビは常に捕獲してきた物というわけではなく、時にウイルスを直接投与してゾンビにした物もいると。
今イェジの目の前にいるユジンのように…
自らもゾンビにしようとしてくる“若様”に全てを告白するイェジ。
ベインの真実を確認した“若様”はイェジとサラを見逃すためにとある条件を提案するのであった。
サラと共に就寝するベイン。
彼女の名前がなぜサラになったのか由来を話している彼の元にイェジが訪ねてくる。
彼女の口から語られたのは次の高額試合の決定。
明後日行われる試合に勝てば全てが終わる。
ベインは最後の試合に向けての準備を始めるのであった。
そこで待つ罠と残酷な結末を知らずに…
ゾンビの脅威が足りていない
この映画は一応ゾンビ物…
なんですがそれにしてはゾンビの脅威という物をかなり軽んじて描写してしまい、
その結果としてこの映画の話の根幹やら登場人物への共感、世界観の設定の説得力が生まれなくなってしまっている映画でした。
本作はそもそもゾンビが蔓延した世界で一部の人間のみが安全区域に暮らし、それ以外の人間は管理区域の中でゾンビに怯えて暮らすという設定。
その中で主人公のベインはそんな危険極まりない世界に娘のサラの身を置いておきたくはない。
だからゾンビ同士を戦わせる狂った娯楽の世界でゾンビに化けて金を稼ぐと、
ゾンビを相手にするのも危険、人間だとバレても危険、そんな世界に身を委ねる訳ですよ。
いわばゾンビ発生により出来上がってしまったディストピアな世界観なんですが、
ゾンビの脅威を描くことを思いっきり軽んじているんでここまでに説明した全ての要素に説得力が生まれないのです。
もうね、何と言ってもね、人類が滅びかかるくらいに大量に蔓延して脅威なはずのゾンビが全然出てこないんですよ。
安全区域という存在があるディストピアな世界観、なら管理区域ではそれなりのゾンビの数や脅威というものを見せなきゃ説得力がないはず。
なのに管理区域内では所謂野良ゾンビ的な存在は一切出てこない。
これのせいでベイン達管理区域内の住人の危機感に全然気持ちを寄り添うことが出来ないんです。
ゾンビに扮してゾンビと戦うなんて危険な行いをする理由は娘を何としてもゾンビ蔓延る管理区域から安全区域に連れて行きたいから行っているはず。
なのに管理区域内でのゾンビの脅威が描かれないから、そこまで無理しなくてもいいんじゃない?と思えてしまい、一番大事なはずの主人公の動機に寄り添えないのは中々の問題。
何ならこの主人公親娘、割りかしボロ目な家に住んでいるのに普通に親娘揃って熟睡してますからね。
せめてこう管理区域内にどこにでも蔓延っている…とまではいかなくても、バリケード1つ隔てた先にはとんでもない数のゾンビが彷徨いているとかそういう説得感が欲しかった。
そしてベインが試合を繰り返してボロボロにも関わらず娘が襲われないように夜中にも警戒し、怪我を押しながらも寝ずに見守る。
こういうのがあれば管理区域に住むことの恐ろしさや何としても娘を連れ出なくてはいけない焦燥感などに共感出来たと思うんですよ。
他にもこの野良ゾンビ描写不足(というか皆無?)で他にもアラを感じるようになりまして。
安全区域内と管理区域内は設定としては経済格差が生まれている世界な訳ですよ。
そしてそれは両区域の絶対的な安全格差から生まれている。
人口が減ってゾンビも減っているという世界でありながらも安全区域に入るための通行料で1人1500万ウォン(日本円で180万円くらいだそうです)払わなくては行けないように封鎖している。
この安全圏に入るための経済の締め付けによって通行料が上がり、
相対的に金の価値も上がることで物価も上がっていると安全地帯から経済操作を行っている節があるんです。
でもこれって管理区域のゾンビの恐怖が無ければやっぱり説得力がないんですよ。
管理区域にいると命の危険がある、だから高い金を払ってでも安全区域に行きたい。
その構図にならなくては説得力がないのに、その説得力を見せるためのゾンビがいないので、
別に管理区域に住んでても不足しないんじゃない?と思えてしまうのはやっぱり問題あると思うんですよね。
ここまでは説得力の問題も語りましたが、人類が滅びかけて世界がディストピア化するくらいにゾンビが蔓延している絶対にしているんですから、
その描写を見せないのはゾンビを扱っているゾンビ映画としてシンプルに物足りないっちゅう話です。
ディストピア化するくらいのゾンビ映画なのにそのゾンビ達を碌に出さない、脅威を描かないことで人物、世界観、そしてジャンルとしての説得力を失ってしまっている感は否めないんですよね。
こう…大量のゾンビの群れとか見ただけで1発でやべえと分かるような絵として力のある構図。
こういう物を1つだけでも力を入れて作るだけで大分映画全体の説得力が変わったんじゃないかなと思います。
カタルシスのないゾンビ・ファイター誕生
この映画のタイトルはゾンビ・ファイター。
原題でもちゃんとゾンビ・ファイター。
ラストでこのタイトルをしっかりと回収するんですけど、
これがあまりにもカタルシスが無いのは勿体無いと言うか、尻切れとんぼ感ありましたね。
元々は主人公のベインがゾンビ(に扮している)・ファイターだった訳ですが、その正体が“若様”にバレた時に状況が変化することになります。
ゾンビしか戦えない舞台に人間が参加している、そのことがバレた時にベインと組んでいるイェジを脅してとある取引と目的を見せてくる訳です。
それが強者であるベインをゾンビとして欲しがること。
元々ゾンビを捕獲して戦わせる連中で胴元側からもゾンビを出して戦わせているような運営。
しかも捕獲どころか注射で意図的に生きてる人間を感染させて戦わせるくらいの行動もするド外道なのでさもありなんと言ったところ。
そんな奴らが自分らのルールを捻じ曲げたベインを許さず、報復するとなると、
彼をゾンビにして自分達の所有物にすれば邪魔者は消えて自分達は強者を手に入れると一石二鳥なわけですよ。
それに対してベインもイェジから運営に自分の正体がバレて目的が自分自身だと知らされた時に、
イェジを娘に託して相手の目的を知りながらも参加するという覚悟を見せる…
しかもベインは度重なるゾンビとの戦いでこっそりゾンビ化しているっぽい症状が進行しているわけです。
どちらにしても明日がないのなら娘のために闘技場にの試合に臨む、親として自らを犠牲にする覚悟を見せる。
とまぁこんな展開から予測出来るタイトル回収とカタルシスというのは、ベインがゾンビになっても暴れて娘達を守り抜くという展開じゃないですか?
でも、蓋を開けると尻切れとんぼ。
実際ベインはゾンビになります。運営側の不意打ちにハマってゾンビに噛まれることで。
ここまでは予定調和ですが、問題はこの後。
なんとゾンビになった後は特に暴れずに柵の内側から娘に逃げろと言って終わりなんですよ。
…いやいやいや、そこは娘のために意思なき存在になっても暴れようぜ!?
これ運営が人をゾンビにしてでもゾンビを戦わせるような連中で、
そんな奴らが面子潰されたけどベインを強者と見込んで彼をゾンビにして手に入れることで手打ちにしようとしているわけですよ。
娘を守りたいと言う親としての意思、そして面子潰されたけどそいつをゾンビにして手に入れて一生働かせようとする運営連中。
ここまでの展開を用意したんだったらゾンビになってもなぜか娘だけは理屈抜き、説明出来ない行動で守り抜き、
運営相手にはお前らが認めた強さをお前らの命を持って見せてやるぜ!っていうのがやっぱ期待される展開じゃないですか?
なのにまさかこの展開でゾンビになってはい、終了とは思わないでしょう。
ゾンビ(に扮していた)・ファイターが(本物の)ゾンビ・ファイターに最後になる。
なのにファイトをせずにゾンビになっただけで終わりなのは流石になぁ。
しかもこれサラに逃げろとは言いましたが、サラとイェジが無事逃げられたどうかは全くの不明で終わるのもひどい話。
ベインの目的が何か1つでも達成出来た保証もなく、敵の思惑が全て上手くいくとかゾンビ映画らしいバッドエンドっちゃバッドエンドなんですが、
そうなるにしてもここまでの展開に積み重ねてきた描写とそこから期待出来る展開には最低限応えてからバッドエンドにして欲しかった。
最後にタイトル回収するという胸熱、もしくは胸糞展開なのにそのどちらに対しても中途半端な期待の応え方をしているんですよね。
どうせバッドエンドなら娘噛むくらいの方がバッドエンドらしいカタルシスがあったんじゃないかなと思うくらいでした。
バッドエンドにも美学ってもんがある。
まとめ
設定面は良いけど描写が甘いよくあるタイプのゾンビ映画ではありましたね。
カタルシスの無さや設定面での説得力不足も不満なんですが、それ以上に不満だったのは実は韓国映画らしいエグさがないことだったりします。
韓国映画ってB級でも暴力面や人間描写にとてもリアルでイヤーなエグみがあるのが定番で独特な部分だと思うんですけど、本作はそういうのも不足してましたね。
ゾンビが蔓延する世界で身の安全や生死が住んでる所や金に左右される。
こんな如何にも韓国映画の強みが活かせそうな設定だっただけにそこら辺が無いのは不満としてどうしても大きくなってしまいますね。
どれだけ描写が甘くてもこのエグみかカタルシスがあれば何だかんだでいい映画だと思えたかもしれないんですが…
うーん、やっぱゾンビ映画でB級という免罪符があるとどこの国もそれに甘えて色々と雑にしてしまうんですかねぇ。
地味にアクションもゾンビ同士の戦いという体裁でそれに合わせなくちゃならないということで、
元ボクサー設定も碌に活きないアクションの質になってしまっていましたし….
自国の映画文化の強みか、自分達で打ち出した設定面での強みというのはちゃんと押し出すようにしてほしい映画でした。
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