ワイルドアームズ セカンドイグニッション 感想ッ! やはり色褪せない物語で名作だったッ!

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 唐突ですが、今これを書いている自分はテンションが上がっているッ!

 理由はタイトル通りにワイルドアームズセカンドイグニッション(以下WA2)を子供時代から久々にクリアしたからッ!

 あの名作への感情は子供時代の思い出補正だったのか、それとも今尚名作と感じるのか?過去の名作をやる時はそんな不安に襲われる時もある。だがこのゲームはそれを裏切らなかったッ!

 あの時と同じように感動したッ!あの時と同じように熱くなれたッ!だからこそその感情を自分のブログという場で好き放題垂れ流したいッ!何ならそれ見て1人くらいは初めて…もしくは久々にプレイする人が増えて欲しいッ!

 そのテンションでこのゲームへの感想を書くッ!いや、テンションのままに垂れ流すッ!

ゲーム概要

 WA2は1999年、この記事を書いた時から27年も前にPS1て発売されたゲーム。

 アーク、ポポロと並びPS“3大”RPGと言われた1つ、ワイルドアームズの新作だ。

 前作WA1よりもパーティキャラクターは2倍に、主人公は喋るように、そして謎解きはより複雑に。前作を踏襲しながらもこの物語を描くために様々なパワーアップを果たした1作だッ!

 シリーズの中でも最高傑作と今尚言われ、1のリメイクであるアルターコードFが出た時は本作もリメイクを期待されたこともある(自分も期待していた)

 そして今プレイ環境としてはPSStoreにて便利な機能を追加してのダウンロード購入が可能と現行機プレイが可能となっているのであるッ!

便利機能

 令和の世に配信するということはそれなりに便利機能がつくこともある。

 このWA2もそれに漏れずPSで配信されているゲームらしくトロフィー機能の追加。

 そして巻き戻し機能とどこでもセーブだッ!

 この2つの機能はどのタイミングでも使うことが可能。

 ダンジョン攻略中であろうと戦闘中であろうといくらでも使用出来る。不満のある結果が出たら巻き戻し、ボス戦の途中で来客や予定が出来たらセーブして電源を落とすことも可能。正に便利機能だッ!

 そしてこれによりこのゲームは後述するダンジョンの不満点との相性が良く1つ完璧に近づいたッ!
 この不満点と便利機能の噛み合わせは奇跡的なまでに良く、大きな不満点を完全に消すことに成功しているッ!

 ゲームはそのまま配信されているのに令和に合わせた便利機能をつけただけでより完成度が高い1作になる正に神機能だったのだッ!

愚直なまで『英雄』と『平和』に向き合ったストーリーッ!

 このWA2が名作と語りつがれる理由の大きな要因はやはりこのストーリーッ!これが演出も合わせてあまりに熱く、そして感動出来るからだッ!

 人々はみんな平和を求めている。でも現実を知る度に、知識を得る度に、同じ物を求めているはずなのに違う道を選び対立してしまう。

 それは人生における経験だったり、得てしまった知識だったり、そして人はどこか諦めの中で選択していく。そして目指す先が同じはずなのに手段や道を違えていく。

 そして特別な力を持ってしまった少数の人間が背負う『英雄』という肩書きの元に英雄は時に血に染まり生贄として捧げられようやく平和が生まれる。

 このゲームでの『英雄』と『平和』の関係性はこの連鎖とは切っては切り離せない。

 だからこそ主人公アシュレーの19歳という年齢は絶妙だ。
 現実は理解出来るくらいには子供じゃない。でも諦めるには早い大人になれていない年齢。そんな大人と子供の狭間の中でアシュレーは犠牲と平和の連鎖の中で新しい答えを見つけようとする。

 そして彼はもう1つの狭間の中にもいる。
 彼は序盤で敵による罠で内に秘めることになる大きな力を降魔儀式、それによって魔物へと変えられるが残った意識の中でかつて『剣の聖女』アナスタシアが振るった剣アガートラームに手を伸ばすそれによって彼はかつて世界を襲った災厄とアガートラーム、その両方を自らの内に内包する。つまり光と闇の狭間にもいる存在だ。

 そんな大人と子供、光と闇の狭間の中で彼と仲間がARMSとして世界の危機に立ち向かう中で英雄と平和の全ての現実を見て知っていく。世界を維持するための柱という生贄。普通の人間が特別な力を手にしたことで英雄となり背負った責務。その現実を知った上で諦めずに道を探す。そして彼らが救い守られた人々は新しい英雄としてアシュレーをARMS達を見ていく。

 けど英雄だって1人の人間だ。

 特別な力を持ってしまった主人公であるアシュレーはプレイヤーが共に見てきたから勿論、仲間の1人でガーディアンと呼ばれる世界と会話出来る『柱』となり生贄となれと言われたティムだって死ねと言われたら恐怖する12歳の少年だ。

 そしてかつての英雄アナスタシアだって会って会話をしてみればこの会話を代表するように極々普通の人間だった。

 どこにでもいる人間が力を持っただけで英雄という平和のための礎として見られてしまい、たとえその結末が死だとしても自分達の平穏が帰ってくることを求め人々は英雄としてその勤めを果たしてくることを願ってしまう。


 そしてその願いの醜さや恥を隠すようにどこにでもいる人間が力を持っただけで英雄となったのではなく高潔な人物として語り継ぐ。
 その英雄譚によって『英雄』の血が流れるも苦境に立てられた子孫は『英雄』の真実など考えずに『英雄』となることで己の存在の証を立てようともしてしまう。


 そして平和を愛し現実を見たからこそ自らが汚れ役にも犠牲にもなり平和を求める者もいる。

 だからこの物語の『英雄』の真実は犠牲と呪いのような物だ。

 でもこの物語の最後の戦いはそれを覆す。最後の戦いはアシュレー1人で立ち向かう。アガートラームを手にしてそれはまるでかつてのアナスタシアと同じような状況だ。


 ここで少数の『英雄』が犠牲になることで平和になるのでは『英雄』は『生贄』のまま変わらない。
 だからこそ今度は全ての人間が世界中がこの戦いの当事者となる。アガートラームの想いを集める力を使い、世界中から想いが集まりアシュレーの力となる。


 1人1人が与えられる力は確かに違う。とても微力なものもいれば力強い人もいるだろう。その中で無力を嘆いた者だっていた。


 でも確かに力を与えることは出来る。国を超え、価値観を超え、理屈を越え、全ての人間が手を携えて当事者として平和のために戦う。戦う力も特別な力も必要ない、想い1つあればこの戦いに参加出来る。それがこの最後の戦いなのだ。

 この想いを集めるのはアシュレー1人では無理だった。ARMSの仲間1人1人がいたからこそ繋がった手も存在する。この6人だからこそ繋げた世界中との手、誰もが自分の身近な者を守る。この先の日常を続けるそれだけのために力を絞ればいい。それが世界全員でやればそれは1つの意思となる。まさにこのゲームのオープニングにしてやはり名曲『どんなときでも、ひとりじゃない』のサビの歌詞同様にどんな時でも1人じゃない繋いだ手は離さないのだ。

 余談だがこの最後の戦いはこのオープニングのアレンジBGMで非常に熱い。試しにどんな手段でもいいからこの2つは聴いてほしい。いや、やっぱ違法な手段はダメなので何がしがちゃんとした形で聴いてほしい。こんな欲まみれのリンクを踏まなくてもいいので、自分で調べて購入して聴いてほしい損は絶対させないので。

 話を戻すとこの戦いの中で出るこの名言。

誰かが『英雄』になれるのなら誰もが『英雄』になれるはず

 このメリルの言葉がこのゲームの『英雄』という名の言葉の意味の全てだ。世界の人間が同じ平和という目的を持って力を貸したのなら全ての人間が英雄だ。少数の『英雄』だけでは『平和』のための『生贄』となった。だからこそ世界の誰もが想い1つを届けて共に戦う特別な存在じゃないどこにでもいる『英雄』となってこの連鎖を終わらせる。

 だからこの物語はどこにでもいる普通の人間なのに力があるだけで身を粉にし犠牲となった少数の『英雄』の英雄譚ではない。
 特別な者などいない世界全てが想いだけで未来を勝ち得てこの連鎖を終わらせる。世界そのものが想いこそが英雄譚なゲームなのだ。

 敢えてこんな言葉遣いをしてしまうが、こんなに恥ずかしげもなく『平和』と『英雄』というテーマに真正面から真摯に向き合ったストーリーはこのWA2以外に存在しないのではないか?
 そう思うくらいに自分のプレイしてきたゲーム史の中でこのゲームのストーリーは思い出の中で燦々と輝いていたのである。

戦闘は爽快感あるけど、テンポは悪いッ!

 このゲームに採用されているのはFP(フォースポイント)システム。

 どういうシステムかと言うと通常攻撃やダメージを受けるなどでFPが溜まるシステムで25%ごと4レベルに分かれている。そしてFPが100フォースレベルが4になると状態異常が治ったりなど至れり尽くせりなシステムだ。

 特徴的なのがこのFP溜まることでオリジナルパワーと呼ばれる他のゲームで言えば魔法や特技が使用可能となる。だがオリジナルパワーを使っても一切FPは消費されないッ!

 例えば仲間のリルカの回復可能なオリジナルパワーであるヒールはFP5で使用出来る。これを使うにはまず当然FPを5まで溜める。そしてこの状態でヒールを使うと他のゲームであればFPが5消費されると思うだろうが、FPはそのままで使用される。
 つまり使用に必要FPであって消費FPではないということ。

 これだけだと溜まるだけになると思われそうだがFPを消費する例外行動として存在するのがフォースアビリティ。

 これはフォースレベル1〜4消費FPで言えば25〜100消費、これにより強力な行動を取れる。
 シンプルにダメージ倍率アップ、確実に先手が取れる、そしてこのゲームの代名詞でもあるアシュレーのナイトブレイザーへの変身(アクセス)もこれに分類される。

 言ってしまえば消費をすることによる切り札的な存在。攻略本でも開発陣が語っているが、ヒーローのような戦闘を意識したシステムとなっているのだ。

 更にこのFPは戦闘開始時の初期FPがレベルの数値そのままとなる。レベル1ならFP1で戦闘開始、レベル99ならFP99で開始される。つまりレベルが上がれば上がるほど戦闘開始時に様々な選択肢が取ることが出来て全体攻撃をいきなり放ったりなど爽快感があるのであるッ!

 ただその爽快感はそのまま戦闘のヌルさに繋がる。

 弱点ダメージがとんでもなく倍率かかる仕様と相まって、通常戦闘だと敵のHPが低いのでレベルが上がり初期FPが上がると全体攻撃と畳み掛けで1ターンキルなんて当たり前。

 その割に戦闘テンポが悪いので上がっていくはずの爽快感との噛み合わせは非常に悪い。この戦闘の演出テンポの悪さは明確にこのゲームの欠点であろう。

 なので全体的にはヌルゲー、ただしボス戦は歯応えある方、状態異常の厄介さも相まって相手の知識が無い初見なら苦しめられることは多々あるはず、特に隠しボスはしっかりと対策しないといけない(逆に対策や耐性の穴をつくとやはりヌルくなったり)

 そういったヌルさが殆どだけど手応えあるところはしっかりある。でも全体的にはやはりヌルゲーそれがWA2ッ!

成長システムは今やると不便

 このゲームの成長システムは前時代的だ。(実際に前時代発売)

 キャラを強化する手段であるPS(パーソナルスキル)習得とアーム改造はやり直し不可。

 特にアシュレーのアーム全弾叩き込むフルフラットがあるので弾数強化がベストなのだが、当然初見だとそれは分からず、弾数より威力を改造してしまいがちなのは普通に罠。この時代では珍しくもないけど知ってしまうとショックな仕様ではある。

 なのでシステム面は明確に不便…というか古いとしか言えない。この時代には珍しくないのだが、プレイするのは今の時代の人間だ。だからこの仕様はやはり明確にマイナスポイントになるのは否めないだろう。(逆に言えば攻略でここだけでも見ておくと何の障害にもならない)

 後、余談だがこれまたこの時代にはよくあった最強の敵を倒して最強のアクセサリーが手に入るという。使う相手がもういない的なのもある。こればかりは周回引き継ぎがあれば対応出来たが残念ながらこの時のワイルドアームズシリーズはそれに対応していなかったのだ。

ダンジョン探索は問題ありッ!でも今は巻き戻しがあるッ!

 もろにゼルダの影響を感じられたWA1の謎解き。

 今作もキャラクターごとのグッズを使い謎解きをしていく。しかもパーティは最大6人なので謎解きに使うアイテムも多く謎も豊富になった。

 その謎解き自体は結構難易度も高めだ。
 何なら当時子供の自分は余裕でエンディングまで解いていたはずなのに大人になった今プレイするとメインストーリーでも悩む点が多かったり、大人になると頭が固くなるという言葉の意味を理解出来たよう経験が出来るッ!

 そしてその謎解きにおいてダンジョンでの面倒な仕様がストレスに関わってくる。

 それが穴に落ちたらそのフロアの入り口に戻されるという点。

 これだけならまだ問題は無いのだが穴に落ちる時の仕様がきつい。
 このゲームは段差から落ちる時、着地出来るポイントだと踏ん張るか落ちるか選べる仕様だが、着地出来ない穴の場合は問答無用に踏ん張りもせずに落ちることになる。
 これが結構なストレスフル、落ちる判定が意外とシビアなこともあってこれもやはり当時よくやったなと思うポイントだった。だがここで令和仕様になった恩恵が出てくる。そう追加機能で説明した巻き戻し機能だ。

 どれだけ穴に落ちても一々フロアの入り口からやり直さずに巻き戻ししてしまえばいい。これにより穴に落ちても特に気にする必要が少ない要素となったのだ。この巻き戻しによってストレスの欠点が消えている、ある意味令和で優しい仕様追加によってこのゲームの問題点が改善されて完璧に近づいたとも言えるかもしれないッ!

まとめ

 と言うわけでWA2の感想でした。

 テンションが落ち着いたのでいつもの文体になりますが、やはり本当にいいゲームであの時の自分の思い出は間違っていないそう確信させてもくれるゲームでもありました。

 色々語りましたし、名作なだけに感想も動画もたくさんあるゲームです。それで消費する形で終わらせてお別れという選択肢も今の時代なら全然アリだと思います。
 それでも敢えて言わせてもらうと実際にプレイするのと見ているのでは感動なんてまるで違う。

 アシュレー達と共に30時間以上共に苦楽を分かち合い、世界を歩く、見るだけで終わらす受動的な体験ではなく操作してきたという能動的な体験。
 これがなくてはこのゲーム…というかゲームという媒体その物の本当に与えようとしている想いや感動というのは全ては伝わらないと思っています。

 自分の手で操作してこそ得られる経験や感情、愛着と言うのは絶対に存在するものですから。

 なので少しでも興味が湧いた人はこの愚直なまで『英雄』と『平和』と向き合った物語を実際にプレイした上で体験して欲しいなとあの時の…そして今再びこの物語からの熱を受け取った1プレイヤーとして望みます。


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