この記事には広告を含む場合があります。
記事内で紹介する商品を購入することで、当サイトに売り上げの一部が還元されることがあります。
人は年齢を重ねると様々な変化をする。
それは疲れやすくなったり、髪が…だったりなど身体的な物が主となるが、今回はそんな語っているとお互いを慰め合うだけになってしまう侘しい話ではなく主に精神的な話だ。
今、自分はFF7をプレイしている。それもリメイクやリバースではなくオリジナルの方だ。このオリジナルは現行機に配信され、他のFFの配信作同様にブースト機能が追加。特に3倍速の機能はかつての少年達が時間のない大人になって再プレイするには実にありがたい機能だ。

その快適さを持って懐かしのこのゲームをプレイ。理由としては元々やりたかったのもあるが、少し前にFFは6までなどという言説が流れてきて(しかもこれを言っていたのがFF7未プレイというエアプ極まりない人物だった)我が青春のゲームを貶された!といい年齢なのに反抗心を覚えての再プレイという少し不純な動機も孕んでいたりする。
そんな不純さも交えてプレイしているが、ブースト機能による快適さもあってか、やはりこのゲームはいい物だと再認識している。
当時の世相を表している、ともすればホラーとも言える暗く不穏な雰囲気。これはFF7に限らず当時の多くの創作にあった雰囲気だ。そして当然自分はこのゲームのストーリーも真実も知っての再プレイ。あの時には気付かなかった序盤から滲み出るクラウドの台詞を中心とした伏線の数々。更にあまりに自由度のある育成システムであるマテリア。これも記憶以上に序盤から種類が手に入り、プレイヤーごとの個性が出るようになっている。正に玩具箱のようなゲームだ。
他者の発言への反発、反抗から優先度を上げてプレイしたが、あの時からこのゲームに対する感情は何一つ変わっていなかった。やはり自分にとっては最高のゲームの1つだし、他人にそれを揺さぶられるような物ではないとも再プレイの途中にも関わらず強く確信した。
そうこのゲームを再プレイして年齢を重ねてもあの時の自分とはそこまで感性が変わっていないことに気付かされるのだ。
これは単に成長していないのか、それだけこのFF7というゲームが魅力的なのかは自分には計りかねるところ。
だが変わらない感性の中で当時から1つだけ大きな変化があった。それはこれである。

そうパーティメンバーだ。
FF7は主人公クラウドを固定メンバーとして(途中で一時的な例外はある)残り2人は自由に選べる。そして控えのキャラは一切成長しない。
平均的な育成を好むプレイヤー以外だと早々にスタメンが決まり、そのキャラ、そのパーティで最後まで突き進むというのが、当時の多くのプレイヤーのスタイルだったと勝手に思っている。
そしてこのパーティメンバーは当時の自分とは大きく違う。
当時の自分は…正確には感性は一切変わらずに今もだが、とにかく人外キャラが大好きだった。

人とは違う姿。そして大体その手のキャラには特殊な性能があり個性がある。(と言ってもこのFF7は人外キャラの2体にそういった類の個性がある方ではないが)そんな見た目にも性能にも個性がある人外キャラに当時は特に強く惹かれており、このFF7でも獣キャラであるレッドXIII、でかいぬいぐるみであるケット・シーを使用していた。
これは周りの友人達を見回しても自分だけしかやっていないパーティだった。(とにかく周りはヴィンセントが多かった隠しキャラなのに…だからこそ?)
だがそれは時を経た現在の再プレイではティファとヴィンセントというパーティになった。
なぜこうなったのか?これは身も蓋もないことを言うと当時からの心の中の男の子が今も変わらずにいたからだ。
男の子は当然ティファが好きだ。数多くいるゲームヒロインでもそのスタイル、そして見た目の印象とは違う真実に対する臆病さも垣間見える性格のギャップなどに男の子は惹かれに惹かれていただろう。
男の子は厨二心を捨てきれない。ヴィンセントというボロボロのマントをたなびかせ銃を使い、クールなキャラなど逆らえようがない。設定を考えるとお前よりによってニブルヘイムで寝続けていたのか…とか思うところもあるが、それはそれとして厨二心には刺さる。

それは今も昔も何一つ変わらない。
なのになぜ当時はこのパーティを組まなかったのかというと、当時の自分は人外が好きというのは当然主としてあったがそれと同じくどストレートなこのパーティを組むことに気恥ずかしさもあった。
だが今大人になりそんな恥など捨てて男の子に従ってしまえ、心の中の股間と厨二には逆らわずに見せつけてなんぼだろという境地になった。
それは取り繕うような親しい相手がもう身近にいないからなのか、今や自分は友人、知人、クラスメイトなど通り越して広大なネットの海に当時は気恥ずかしさもあった行いを平然とさらけ出している。
あの時から大して感性は変わらない。しかし取り繕うよりも心の中の更に奥の衝動に従って全力で楽しんだ方が良い。それには時に恥を捨てる必要だってある。
年齢を重ねるということはそういったことに躊躇いを持たなくなるということなのかもしれない。あの時全力でプレイした厨二にも股間にも大きな影響を与えたFF7を再プレイして自分は今そんなことを思い、ここに恥を曝け出している。
当然だが感性は変わらないということは人外キャラ好きも今も変わってはいない。他のゲームでパーティメンバーの人数に余裕があれば優先度は相変わらず高め。ただ優先度が股間>厨二>人外と素直になっただけだ。
たまに優先度が変わると好きじゃなかったや嫌いになったのかと言われることもあるが、人外の位置や人外が好きという感情は何一つ変わらずにただ他の項目がそれより上に来ただけなのだ。
昨今は嫌いじゃないなら好きなんだ。好きじゃないってことは嫌いなんだ。などと、話を単純化し論破したくてしょうがないと極端な二元論に持ち込もうとする輩や風潮があるが、人物や物事に対しては様々な感情があってしかるべきでここら辺の流れが主流になりつつあるのは嘆かわしい限りである。
最後にそれこそ年齢を重ねたが故の老害感溢れる感情も吐露してしまったが、これも恥が無くなっている証拠だろうなと思う。
こんな風に恥を捨てながら当時のゲームもプレイしている。
当時の自分と今の自分を作品を通して比べることが出来るのは、その時代をリアルタイムで通ってきた人間の特権だ。その特権を使って知ってしまった「恥を捨て去り、恥を披露すること」が、果たしていいことなのかどうかは、この駄文に最後まで付き合ってくれた皆さんに委ねるとする。
余談だがFF7が世に出て以来、ティファは様々な媒体に登場し続けているが、思い出補正込みでこのステータス画面のティファが1番可愛さと美しさのバランスがいい完璧さがあると思っている。寧ろこのステータス画面があったからこその人気だとすら思っている。


