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製作国
アメリカ
監督
ジョージ・ギャロ
脚本
ボブ・バウワーソックス
出演者
モーガン・フリーマン
コール・ハウザー
ピーター・ストーメア
ミュリエル・ヒレア
ヴァーノン・デイビス
ブライアン・カーランダー
今回は呪術の儀式による猟奇殺人を描いた映画ブラッド・チェイサー 呪術捜査線(原題:The Ritual Killer)の感想。
モーガン・フリーマン演じる教授と刑事が宗教的な事件に挑むというセブンを彷彿とさせる設定ですが、
実際のところは真実よりも迷信の怖さを描いた映画となっております。
この儀式という迷信の元に進む事件、それを目の当たりにしながら捜査を続けた登場人物のラストにはちょっとした唐突さとそして衝撃が待っていますよ。
ジャンルはスリラーで上映時間は92分となります。
目次
あらすじ
命をかけて捕らえろ!スペシャリストとベテラン刑事が謎の殺人鬼を追う!
Rakuten TVより
イタリア・ローマ。夜の街を全力疾走する男。彼を追跡する刑事の銃撃にもひるまず、立ちはだかる警官を鋭利な刃物で瞬殺し、その男は闇に消えた。アメリカ・ミシシッピ州。若者が犠牲となる連続誘拐殺人が発生する。遺体は身体の一部が切り取られていた。殺人課刑事ボイド(C・ハウザー)が捜査を開始。しかし、事件の異様さから捜査は難航、遺留品からアフリカが関係しているとみたボイドは、アフリカ民俗学の権威マックルズ教授(M・フリーマン)に協力を要請する。マックルズ教授の知見から、これらの殺人が呪術のための生贄の儀式であることを突き止める。そして、イタリアの刑事から同様の事件が起きていることを知る。次の事件を食い止めるべくマックルズとボイドが捜査に奔走する中、事件にはさらなる謎が隠されていた。
ブラッド・チェイサー 呪術捜査線を配信している配信サービス
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登場人物
・ルーカス・ボイド
アメリカ・ミシシッピ州の殺人課の刑事
若者の猟奇的な誘拐殺人の捜査にあたる
過去に娘を亡くしており、その後悔から精神的に不安定な一面がある
・マックルズ教授
アフリカ民俗学の教授
アフリカのレソト出身で父親は部族の医者だった
猟奇殺人の現場で儀式が行われていたことからボイドに協力を求められる
・マリア・カーシュ
ボイドの相棒
精神的に不安定な彼を気にかけている
・マリオ・ラヴァッツィ
イタリア・ローマの刑事
猟奇的な誘拐殺人を追い、犯人のランドクを追い詰めるが逃げられてしまう
後に同じ事件を追う者としてボイドと連絡を取り合う
・ムグシュ・ランドク
猟奇殺人の犯人
南アフリカのズールー一族の人間で祈祷師
依頼を受けて呪術“ムーティ”の儀式を行うために殺人を行っている
・シェルビー・ファーナー
ランドクに呪術“ムーティ”の依頼をした人物
南アフリカの実業家でより多くの力を得るために呪術によるまじないを求めている
迷信の怖さを知るストーリー
イタリアとアメリカ、この2つの国でアフリカの儀式“ムーティ”に準えた猟奇的な誘拐殺人が起こり、
それをアメリカの刑事ボイドとアフリカの儀式に詳しいマックルズ教授が協力して捜査するという本作。
宗教的な殺人、捜査の主要人物にモーガン・フリーマンということで何となく名作セブンを思い起こすような設定や人物配置に見えますが、
この映画は犯人が序盤からはっきりと犯人として姿を見せて、そしてその犯人への依頼者もこれまたはっきりと登場するので、
真実を推測、予測するという展開にはならなかったりします。
なぜ犯行を行うのかも全て中盤には明らかになってしまい、そういった要素を楽しみたい方には少し不向きな映画かもしれません。
あまり予想外ではありませんが一応真実に仕掛けはあります。
相手の裏をかくなんて展開も無くただただ流れに沿って進むそんな展開です。
となると何を楽しむ映画かと言うと主人公のボイドが抱える娘の死という問題の帰結、これを見る映画だと考えていいと思います。
まず呪術と儀式で行われる殺人ということでこれが本当に存在することなのかそれとも違うのかというのが争点になる部分だと思いますが、
この記事の感想だと存在しない、つまり迷信だということを前提に話を進めさせていただきます。
この映画は迷信の怖さという物を描いている映画だと思います。
本作で行われるアフリカの儀式“ムーティ”は戦士を作るための儀式とされています。
被害者のそれも若い子達の部位を生きたまま切り取り、それを薬草として混ぜ合わせれば霊薬となり力を得ることが出来るとされているというのが作中で語られる儀式の説明です。
ちなみに生きたまま切り取るのは犠牲者の悲鳴が神に届けるために欠かせないからとのこと。
切り取った部位にはそれぞれ意味があり、
- 性器、特にバージンの物なら男に精力と幸運を
- 目なら先見の明と明確な展望を
- 脳なら知識と政治的権力を
どうです?イカれているとしか思えないでしょう?
しかし、そんな側から見たらイカれている迷信も信じる者からしたらそれは確かな力を持った行いになってしまう。
権力者ほどお抱えの占い師がいる…なんて話はよく聞きますが、
本作で実行犯であるランドクに依頼したファーナーのような権力者なら、
より権力や力を得たい時に権力者のように自分でやれることは全てやったと思える人間は、そういう方向に走ってしまう物なのかもしれませんね。
もう1人迷信にハマってしまう人間が出てくるのですがそれは後ほど。
そのためなら躊躇なく殺人も犯せてしまう、作中でその殺人の実行犯であるランドクはそれにより異質な人物として描かれています。
1人だけ身体能力が高く何の躊躇もなく殺人だって犯してしまう、
堂々とバーで警察殺害する所など見つかることを障害と思っていないのが怖い。
正直主人公であるボイドの物語や背景がラストシーンのために使われるような物でメインストーリーにはあまり影響があるものではないため、
どちらかというとこのランドクの暴れっぷりの方が目立つ形にはなってしまっていましたね。
彼はビジネスとして“ムーティ”を行うための殺人を請け負っているとも捉えることも出来ますが、
ただ白昼堂々警察相手でも挑んだりする衝動性などを見ると“ムーティ”によって戦士になったという自負と盲信はあったんじゃないかなと自分は思っています。
まぁ、そんな彼も黒幕によって迷信で動かされた人物であり、最後には儀式の薬となってしまうのですが…
このランドクの死もボイドが抱えている問題も全てラストシーンのために持っていくためにあるストーリー構成なので、
ある意味本編は黒幕が上手く誘導した茶番だったと言えるかもしれませんね。
黒幕が事件に関わるのもボイドが最後に狙われたのも想定していた訳ではなかったのでしょうけどね。
この映画の凄惨な儀式を用いた大量殺人もその儀式によって力を得られる根拠もはっきり言って何もないんですよ。
つまりこの殺人による犠牲は何の意味もない犠牲なんです。
しかし、それも迷信という物を信じる人間には意味があると思い込んでしまい、
だからこそ躊躇なく意味もない殺人だって行えてしまうし、それによって得られると思う力も本気であると信じて依頼だってしてしまう。
それを誘導する黒幕がいてこそなんですが、何というか人が危ない信仰にハマってしまう、そんな薄気味悪い過程と怖さがよく描写されている映画でした。
特にラストが。
ボイドはラストでなぜあれをしてしまったのか
ネタバレとなりますが、ラストのボイドの行動。
黒幕であったマックルズから送られてきたランドクの目玉、ボイドはラストでそれを口にして食べてしまいます。
それは事件で行われた忌まわしいはずの儀式“ムーティ”の最終段階、部位を体に入れるという行為でした。
なぜ事件を見てきたボイドは“ムーティ”を行ってしまったのか?それについての個人的な考察となります。
まずボイドは冒頭から過去の娘の死を引きずり、その罪悪感でずっと定期的なフラッシュバックや悪夢に苦しむ不安定な人間でした。
発作を持っていた娘と川に来て彼はうっかり寝てしまい、その間に娘が川に落ちて死亡、
そしてそれを妻に責められその後に妻もまた自宅で拳銃自殺してしまった。
この100%自分に非がある後悔で不安定になっているわけですね。
こんな後悔まみれな彼はきっと内心では何かに縋りたくてしょうがない部分がある人間だったと推測出来ます。
そんな心中で過ごしている中で今回の“ムーティ”という儀式を行った事件の捜査にあたり、
ボイドは“ムーティ”の悲惨な手法と同時に何がもたらされるのかもマックルズに聞いている人間です。
そして今回の事件の途中でランドクを一時追い詰めた時、相棒のマリアが喉を切られ危篤状態となり入院してしまいました。
彼にとって彼女は自分を気にかけてくれる存在で男女の関係ではないでしょうが、1つの支えであったことは想像がつきます。
そんな彼女が危篤となるとボイドは描写こそされませんがより不安定な心中になっていたのだと思われます。
そのマリアが事件解決後に回復して助かる、喜ぶボイドに医師から告げられたのが、
「奇跡も時には起こるのね。」
という言葉と共に彼女の見舞いにマックルズが来て“ムーティ”と唱えていたということ。
おそらくですが、この医師からの奇跡という言葉、そしてマリアの回復と容体安定時にマックルズがやってきて“ムーティ”と唱えていたこと。
これによってボイドは迷信は真実だったのでは?と解釈してしまったのではないでしょうか?
個人的にはマリアの回復は彼女の生命力と意思によるもので“ムーティ”なんて何も関係無いただの偶然と解釈しているのですが、
元々不安定だったボイド、そこに自分を気にかけてくれていた相棒が危篤という追い打ちをかけられた彼にしたら、
これは奇跡が起きたのではなく“ムーティ”によって起こされたと考えても不思議では無いと思われます。
その日の彼が見る夢は今までと違い妻の赦しの言葉を得るのですが、
これも迷信によって起こされたのではなく迷信を信じた彼が心の拠り所を手に入れて安定したことによって起きたことではないのかなと。
この効果がある時点で迷信は存在すると解釈出来るといえば出来るのかもしれませんが。
しかし、彼からしたら“ムーティ”を信じた瞬間にこれですから、これは“ムーティ”のおかげだ!と変に繋げてしまってもおかしくはないと考えられます。
マックルズによる思考誘導で奇跡が起こされたと認識がズラされ、それによって拠り所を得て悪夢から逃れる、
この相乗効果で“ムーティ”という儀式や迷信を深く信じてしまい最後のランドクの目玉を食べるという行動に繋がったのではないかと自分は考えております。
そしてその食べた目玉も作中で説明されている通り先見の明と明確な展望が得られると言われています。
すっかり“ムーティ”にハマってしまったボイドは特に後者である明確な展望を求めて目玉を食べたのではないかなと。
何というか上手くやばい信仰にハマる常套手段ですよね。
人の傷につけ込み起きた奇跡を上手いこと意識を誘導させるというのは。
そういった意味ではマックルズはかなり狡猾で、ボイドが言っていた通り名演技を最後まで果たしたと言えますね。
このラストを見るとこの映画は1人の人間が危ない信仰に堕ちてしまうまでを描いていた映画なんだなと、
複数の偶然や奇跡を安易に繋げてしまうのは気をつけてましょう。
ローマのラヴァッツィ刑事にも荷物は送られていましたが、彼の方は一体何を感じたのでしょうね。
まとめ
振り返るとラストに全振りした映画でしたね。
ストーリー自体は呪術の儀式のための猟奇殺人という雰囲気は良かったのですが、
特に何か大きな伏線があるわけでもなく流れに沿って進行するのでサスペンスとしての驚きはそんなにないんですよね。
なので個人的にはこの映画は最後のボイドを見るための物だなと思いました。
正直バッド寄りで唐突感もあるラストなので賛否でいうなら否が多くなりそうな映画ですが、
これだけの時間をかけて1人の人間が軽い一押しで堕ちたところを見せられると、これはこれで独特な味わいがあるなと自分は感じましたね。
ちなみに最近では珍しく子供が保護されない映画でもありましたよ。
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