【映画】クリーン ある殺し屋の献身 ネタバレあり感想

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クリーン ある殺し屋の献身
(C)2018 A Clean Picture, LLC All Rights Reserved.

製作国

アメリカ

監督
ポール・ソレット
脚本
ポール・ソレット
エイドリアン・ブロディ
出演者
エイドリアン・ブロディ
グレン・フレシュラー
リッチー・メリット
チャンドラー・アリ・デュポン
ミケルティ・ウィリアムソン
ミッチェル・ウィルソン
ジョン・ビアンコ
RZA
ディノラ・ウェルコット

元殺し屋とギャング、そしてギャング達に目をつけられた気にかけている子供と、
この構成だと大暴れを期待する物ですが今作クリーン ある殺し屋の献身(原題:Clean)は違います。

過去の行い、2組の親子関係、そこから示される歪な正しき道と渋いドラマが展開されていく映画となっております。

ジャンルはドラマで上映時間は約94分となります。

あらすじ

その男は、《クリーン》と呼ばれていた。寡黙なゴミ清掃員、その正体は凄腕の元殺し屋。孤独な日々の中、クリーンには気になる存在があった。隣人の、ディアンダという少女だ。彼女とのふれあいは、過去に亡くした娘の面影をよみがえらせる。ある時、麻薬ギャングたちがディアンダに目をつけ、手を出してきた。ディアンダを救い出すため、クリーンはチンピラたちを半殺しにしてしまう。だがその中に、ギャングのボスであるマイケルの息子がいた。復讐のため、マイケルは組織を総動員してクリーンを追う。クリーンはディアンダを護るため再び銃をとり、たった1人で反撃を挑んでゆくが……。

DMM TVプレミアムより

登場人物

クリーン

ゴミ清掃員をしている元殺し屋

近所に住むディマンダに亡き娘を重ね、気にかけ心を通わせる

ディマンダがマイキー含むチンピラ達に襲われているところを襲撃して救い出したことでマイケルに狙われることになる

ディマンダ

クリーンの家の近所に住む少女

家では祖母と2人で住んでいる

マイケル

麻薬組織のギャングのボス

教会には足繁く通う敬虔な信者

息子であるマイキーに強圧的、強権的、独善的に接する

マイキー

マイケルの息子

親の仕事には恐怖を抱き否定的

親への恐怖と反発で街のチンピラ達とつるんでいる

散髪屋の店主

クリーンを気にかけている散髪屋の店主

彼の過去に対するカウンセリングや相談にも乗っている

ジャンク屋の店主

クリーンが回収したジャンクを買い取っている店主

アクションよりドラマに重きを置いた作風

クリーン ある殺し屋の献身
(C)2018 A Clean Picture, LLC All Rights Reserved.

実は殺し屋という設定の主人公が少女を護るという映画の本作。

この設定だとアクションがメインと考える人も多いでしょうがどちらかと言うと、
護る少女との交流、自分の過去、そして父としての話というドラマに重きを置いた映画となっています。

アクションも出てくるのは中盤以降ですし、アクションを定期的に挟んで見所を作り飽きさせないという構成ではないですね。

そのアクションも暗いシーンが多くて見辛い部分が多いです。
しかも引退しているというのもあってかスマートでも決してありません。

ただストーリー的にはこれでいいんでしょうね。
完全無欠で迫るのではなく泥臭くても護るために戦うというこの映画のドラマにはよくマッチしていると思います。

とはいえ見所がないわけではないです。

アクション自体の見所は乏しいですが、みんな大好き装備の準備シーンはしっかりと挟まれています。

ここだけはあざといくらいにノリが違います。

今までの重苦しい雰囲気のBGMがノリノリになり、道具を集め銃の調整をする。
そして極めつきは半裸になり体を吹くシーン!エイドリアン・ブロディの鍛え上げられたマッチョな肉体を堪能出来ますよ。

これはあらゆる需要への方向をカバーしたサービスシーンですね。間違いない。

ドライな大人な距離感

クリーン ある殺し屋の献身
(C)2018 A Clean Picture, LLC All Rights Reserved.

この映画、実は登場人物の名前がほとんど明かされません。

明かされるのはクリーン、後はそれぞれの子供に該当するディアンダとマイキーくらいな物です。

一応スタッフロールだと出てくるんですけど作中ではギャングのボスであるマイケルすら名前が呼ばれません。

そもそもクリーンすら恐らく偽名というか渾名みたいなものなので、本当に子供しか名前は分かりません。

しかし、名前は明かされないものの散髪屋やジャンク屋はクリーンとは親身にそれでいて踏み込みすぎない、
そしてクリーンが覚悟を決めた時はそっと察してそれとなく銃を安くしたりアドバイスしたりなどサポートしてくれる大人な距離感です。

作中で呼ばないだけで当人同士は名前知ってるのかもしれませんが。

相手に名乗ると言うのは1つ距離感縮めて親身になるということですからね、
ここら辺の大人の付き合いというのはこの映画の重く渋い雰囲気に一役買っていましたね。

そしてこの名前知ることによる距離感というのは登場人物の間だけでなく観客にも適用されていたのかなと考えています。

この映画で名前を明かされる2人の子供、大人がぶつかり合う理由も護る理由も彼らにありこの話の中心となっています。

観客も彼らの名前を知り登場すれば彼らをその他大勢ではなく個として認識して注視するようになる。

これが名前を知るという効果…!

それにより彼らを中心とした物語の動き、彼らの心情の変化というものを分かりやすく見ることが出来る構成に仕上がっていたと感じましたね。

2人の父親

この映画で対立するクリーンとマイケル大人である2人は掃除屋とギャングのボス以外に父親という存在でもあります。

クリーンは父親“だった”者、マイケルは父親“である”者と失った者とそうではない者の違いがあります。

クリーンは定期的に愛娘を失ったと思われる回想が挟まれます。
深くは掘り下げられませんが殺し屋を続ける中で娘が薬を使い自殺したと思われる描写、
そしてディアンダにその娘の面影を覚えて何かと気にかけている。

だからこそディアンダという存在で過去を洗い流し救われたいという思いがあるように見えます。
彼女もまたクリーンには父性を感じて擬似的な親子関係は作られていく。

血の繋がりは無くとも信頼関係というのが構築され、親子…では無いですがそれに近い関係性を構築していきます。

後に喧嘩別れに近いことをしてディアンダが反抗的になるところなんかも正に親子のそれとも言える関係性。

それに対してもう1人の父親であるマイケルは反抗的な息子マイキーに対して彼の扱いに“マイケルの価値観”で悩んでいます。
実情はギャングのボスたるマイケルの振る舞いに対してマイキーは怯えも含めた反抗を見せていると言う形です。

薬の数が合わなかったことで売人を目の前で滅多殴りにして殺害など、
一般人視点だと毒親ムーブとしか言いようがありません。

そんな中でマイケルは気付いているのかいないのか息子のことで教会へ告解に向かい、息子へは規範を示していると告白しています。

この規範というのがギャングのボスである父親としての規範となっているのが息子から恐れられるところ。
実際マイケルも息子を心配しているのか、それとも息子が思い通りにならないことを嘆いているのかはハッキリとはしません。
ただ後々の描写を考えると恐らく後者なのでしょう。

お前のためといいつつ自分のコントロールの中に入っていなければいけないと、
どこまでも独りよがりの部分がある父親として描写されているように感じます。

同じ父親という関係性でも信頼関係の構築というところでは天と地ほどの差があるクリーンとはこうまで差が出るかとも感じますが、
ただクリーン自体も全てが上手くこなせているわけではなくディアンダを怒鳴りつけ彼女に反抗心を持たれてしまう。

そしてそれぞれの父親に対してのこの子供達の反抗が2人の父親を交わらせることに繋がってしまいます。

正しき道は示された

クリーン ある殺し屋の献身
(C)2018 A Clean Picture, LLC All Rights Reserved.

子供達の反抗から始まる事態により父親に示される道。

この反抗から繋がる流れは中々面白いです。

ディアンダとマイキーは反抗により繋がり悪い仲間のパーティでディアンダは襲われる側、そしてマイキーが仲間と襲う側になり、
そしてそこに現れたクリーンが顔面ボッコボコにするというこの反抗からの流れはとても綺麗な流れで感嘆してしまいましたよ。

これによって2人の父親に明確な繋がりが出来ることとなり、そして2人の道が示されていくことになります。

クリーンは過去の娘への後悔を洗い流そうとしている人間です。しかし、散髪屋の店主に言われている通り、
どう頑張っても洗い流さないものはある。執着を捨てたら問題との折り合いの付け方が分かる
と諭されています。

この言葉の通りクリーンはディアンダを通して娘への執着を持ち、彼女をある種代替えとして見ていた部分があったのでしょう。

しかし、この事態となり娘では無く彼女自身を守ろうとする、執着を捨てマイケルに単身立ち向かうというようやく過去への折り合いをつける事が出来たと考えられます。

突入する前に折りたたんだ娘の写真を開き、自分と共に写っている写真に戻すことからもそれを何となく伺えるようになっていると考えられます。

それに対してマイケルはマイキーが怪我をして帰ってきた時にマイキーの治療を敢えて断るというこれまた毒親ムーブをかましてしまいます。

それ以上にギャングとしてクリーン達への報復を優先する、
息子のことへの復讐も兼ねてはいる部分もあったのでしょうがそれでもやはり面子重視の独裁的な部分の比重があるのは否めませんね。

そんなマイケルも教会での告解で神父から賜った、
神が最悪な罪を贖うならば息子さんに正しい道を示される
この言葉通りの末路を迎えることになります。

マイケルがクリーンに追い詰められたところでマイキーはクリーンを撃ちマイケルを助けたように見せます。

しかし、その後にマイキーが取った行動は父であるマイケルを徹底的に銃で撃ち続けるという行為。
ここで神父からマイケルに語られた最悪な罪は贖われ正しき道が示されることになります。

人を殺すのが正しい道なのか?と疑問に思うでしょうが、その前に告解でマイケルが語ったのは親としての規範を見せているという言葉、マイケル視点だとギャングの親としての規範を見せていたわけです。

そう考えると確かにマイキーはマイケルの今までの振る舞い的にはギャング的な正しき道を示した、
自分父として示した理不尽な規範によって彼は命を落とすということになったんですね。

クリーンとディアンダ、マイケルとマイキーという2組の親子(前者は正確には違いますが)、
この2組の執着を捨て父として拓く道と示してきた規範によって閉ざされる道と2つの正しき道と、
どちらも人の生死が絡み正直歪な形の道ではありますがそれぞれの親子としての関係性を見るとこの道が正しき方向なのでしょう。

まとめ

大人な雰囲気のある映画でしたね。

人々の距離感や親子としての距離感など人との関係性がピックされていて個人的には好感触です。

どこか歪でありながらそれぞれの父としての形、決して好ましいだけではない形で描写しているのが渋さや苦味のある作風に繋がっていました。

元暗殺者という設定的に暴れて終わるのもいいのですが、こういう設定の中でしっとりとしたストーリーというのもたまにはいい物ですね。

逆に言うと大暴れアクションを期待している人にはやや物足りないかもしれません。


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