【映画】間違いなく期待は裏切られる デュアル ネタバレあり感想

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デュアル
Copyright (C) 2021 Dual Productions, LLC All Rights Reserved.

製作国: 

アメリカ、フィンランド

監督
ライリー・スターンズ
脚本
ライリー・スターンズ
出演者
カレン・ギラン
アーロン・ポール
ビューラ・コアレ
テオ・ジェームズ

マイヤ・パウニオ
ジューン・ハイド
アンドレイ・アレン
クリス・グメルス

生み出されたクローンとの対峙というテーマ。

SFだとよくある話ですがこの映画デュアル(原題:Dual)は少々不気味さが漂います。

我々の社会と変わらない中にクローン、そしてそれに纏わるルールによりナチュラルにズレた倫理観をぶち込んでくる、ストーリーよりも世界観のスリラーっぷりが気になる映画でした。

ジャンルはSFスリラーで上映時間は約95分となります。

正直これを見ると決めた人の予想というか期待は完全に裏切らないようですが、これはこれで取るべき1つの選択肢として見てみればそう悪くはないかなと。

この映画の見どころ

生み出されたクローンとオリジナルとの存在をかけての対立

あらすじ

同棲中の恋人ピーターとはマンネリ気味。父は亡くなり、過保護な母は毎日連絡をして来る。そんな平凡な毎日を過ごすサラだったが、ある日突然悲劇が訪れる。密かに体を蝕んでいた病魔により、余命が残り僅かだというのだ。茫然自失となるサラに、医師から「リプレイスメント(継承者)」のカタログが手渡される。それは、間もなく死を迎える者が、遺族を癒すために自らのクローンを作り出すというプログラム。サラは「リプレイスメント」を決断し、残された時間をクローンとの引継ぎに充てる。目の前でピーターや母と親しくなっていくクローンの姿に寂しさを覚える中、サラの病が奇跡的に完治したという報せが入る―。

DMM TVより

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登場人物

サラ

ピーターの恋人で彼の部屋で同棲している

珍しい病気で余命宣告をされ残された者のために“継承者”として“ダブル”を作ることを選択する

瞳の色は茶

サラのダブル

余命宣告されたサラの“継承者”として作られた“ダブル”

プログラミングのエラーで瞳の色が青色になった

サラの死期を待つ間に自我が目覚める

ピーター

サラの恋人

サラとは同棲中だが仕事のために今は離れて暮らしている

サラの余命宣告を医師に最初に告げられる

トレント

戦闘訓練士

“ダブル”との決闘に挑むことになったサラに戦闘技術の手解きをする

3年前にダンスを習おうと思ったが断念している

ナチュラルにズレた価値観と決闘というシステム

デュアル
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クローンという物を題材にしたSFスリラーである本作。

正直なところストーリーよりこの映画の世界観の倫理観にドン引く映画です。

冒頭でいきなり決闘の撮影あったらしますが、それ以外は途中まで観客と同じような社会生活を営んでいてSFっぽくないなぁと思っていたところでクローンについてのお話ですよ。

主人公であるサラが珍しい病気で余命宣告を受けた時に“継承者”リプレイスメントとして“ダブル”を作るか?という選択を与えられ、
遺族が悲しまないために事前に自分のクローンを用意して死後に“ダブル”に自分の人生を代わりに送ってもらうというね。
余命僅かな人間だけに許可されるシステムとして存在しているわけですよ。

これにはおいおい急に倫理観やばい話ぶち込んだくるじゃないと驚きを与えられます。

しかもこの“ダブル”、パンフレットや会社のPR動画なんかも用意されていたりしてこれが当たり前の世界なんだなというどこか空恐ろしさを感じてしまいます。

更にその“ダブル”を作る時の料金の話もまたすごい。

莫大な金が掛かるそうですが、オリジナルが払えなくても残された“ダブル”がオリジナルの人生を引き継ぎ支払いを行うという本当に大丈夫か?この倫理観?と思わざるを得ないシステムでした。

これだけだと“ダブル”に不利すぎない?と思いきや後にオリジナルに不利な話も出たり(といってもかなりイレギュラーな部類ですが)するのでバランスは取れているのかもしれません。

死後のための準備として行われるシステムですが余命僅かであったはずのサラの病気が完全寛解に入ることで事態が一変します。

病気が治れば“ダブル”の存在は必要なく本来であれば廃棄されるという決まり、
しかしクローン物としては王道の自我に目覚めたクローンが人生を乗っ取ろうと反発する。

ここで決闘といういよいよ持って倫理観がぶっ飛んでおかしいシステムが出てくるわけです。

同じ存在は一緒にいてはいけない、ならば1年後に行う決闘でサラの人生を生きる物を決めるという取り組み。

サラからしたら誤診も良いとこの話で命のやり取りにまで発展するという話なので理不尽極まりなく、
また病気も珍しい病気という便利な物でこの展開になるので負のご都合主義を感じますがそこら辺は話のためならしょうがないのですかね。

この決闘、サラの話を聞くと重罪人だけがやるコンテンツと思っていたらオリジナルと“ダブル”でも行われており、
しかもこれが人気コンテンツとなっているというなんかサラッととんでもない倫理が外れた会話が行われてます。

これを見ると普通に見える社会ですが案外ディストピアな部分もある社会システムなのかなと考えられますね。

といっても社会に対してどうこうする映画ではないのですが。

決闘もルールが細かく決められており、

  • 勝負は1年後
  • 公園など屋外の広い場所で行われる
  • 会場の両端で敵と向かい合い審査員の合図でテーブルのカバーを外しそこにある互いに同じ5種類の武器で命のやり取りをする
  • ダブルの支援金の不払いがあるとハンデを背負う

とまぁこういうルールがあり、その中でもハンデについては完全にオリジナルが不利なルールとなっています。

“ダブル”を作る時に莫大な金額が必要となっていますが本来であれば人生を引き継いだ“ダブル”が支払う金を生き残ったらオリジナルが支払う必要がある。

元々自分の人生を借金諸共託すということをしているので因果応報でもあるのが上手く作られたシステムといったところでしょうか。

“ダブル”を作るのが当たり前という世界観、そして不慮の事態は互いに殺し合わせて残る存在を決める、
これに本人達以外が疑問に思わないこの世界観の倫理の外れ方が1番スリラー要素だった映画でしたね。

“ダブル”

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ここでは“ダブル”について少し掘り下げていきたいと思います。

余命僅かな人間な人側だけが作ることを許可される“ダブル”、遺族を悲しませないために事前に新しい自分を用意しておくというシステム。
特定の会社がやっており上でも書いた通り、パンフレットやPR動画などもあるも社会的な制度として認められているという、この時点で軽い狂気を感じますね。

作り方も唾液の採取で数時間で完成するとお手軽かつ簡単で、
ここら辺のハードルの低さもまたこの映画の世界における決闘など命に対する価値観の軽さというのが出ている部分かなと感じますね。

自身の人生を引き継いでもらう“継承者”として生まれる“ダブル”。
存在としてはまずは“刷り込み”期間がありそこをすぎるとオリジナルが生前のうちにその特性をスポンジのように吸収していきオリジナルに近づいていきます。

ここが1つのミソでPR動画でも語られますがオリジナルが特性を吸収させきる前に亡くなると生き写しなだけの別人になる可能性も示唆されます。

それでも姿形が同じなだけで遺族には救いになるとも語られるのですが。

これは要は与えられる情報によって“ダブル”は自我を持つ余地があるということ。
つまりオリジナル以外に接触する遺族などでも変化する可能性があるということですね。

今回のサラの“ダブル”は正にその情報により自我を持ち廃棄を拒みオリジナルとの決闘へと話が進むことになります。

この映画における倫理観や人生というのはこの“ダブル”というシステムがあることで狂っているというように感じます。

残された人間だけからすれば死んでも代わりが用意されてくる。
なので命に対するハードルが下がり簡単に決闘などという命のやり取りをコンテンツにしてしまいますし、
悲しみが和らぐのではなくそもそも悲しみが生まれないようになっていってるように思えましたね。
簡単に命を複製できるということは命の価値を軽くするそういう風に見えました。

一応ダブルはダブルを作れないというルールで無限に命を複製することは出来ないようにするくらいの感覚は持っているようですが。

訓練

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ちょっと話を逸らしてここでは決闘における訓練シーン。
映画のテーマからは逸れるものの映画の楽しみの部分を支えている決闘に向けての訓練について。

決闘というのは命のやり取り、当然そんなことをいきなり普通の人間が行うのは無理がある。
ということで1年の準備期間で戦闘能力、そして命のやり取りを行う心構えを行う期間が設けられます。

この映画の楽しい部分ですね。

訓練士であるトレントに決闘の細かいルールや心構え、戦闘を教えてもらうという流れですが、結構これは本格的です。

ランダムで用意される武器を可能な限り想定して過去の決闘での敗北者の死因を見て勉強もする。
変というか嫌な言い方ですが過去問を勉強するというやつですね。

毒についてサラが正解出来なかったのがラストに繋がるのも良し。

他にもスラッシャームービーをわざわざ見せてグロ耐性をつけさせたり、サラと同世代の遺体の解剖に立ち合わせたりするなど、
普通の人間が躊躇いなく相手を手にかけるための心構え、心理的なハードルを下げる訓練をしっかりと描写しています。

このパートで何よりいいのはトレントのキャラですね。

ドライなように見えて親身でかつ茶目っ気を見せてくれるのがあざとくていいキャラしてましたね。

資金について困った時はお互いに得する形を提供出来れば考えてくれるという話が出ますが、
これは何か後ろめたい内容になるんだろうなと予想していたらまさかのサラがダンスを教えるというだけでOKという。

やろうと思ってたけど断念してしまったことを教わったからOKというこのあざとさですよ。
しかもこの後にダンススクールをにちゃんと申し込んだというさてはド素人の状態で入るのが恥ずかしかっただけだな?と伺えるのがまああざとい。

テーマ的にはあまり関係ない人物になってしまうのですが、彼のキャラと訓練はこの映画を面白くしていた存在でしたね。

だからこそラストの展開で彼の存在が意味無くなってしまったのが惜しいんですけどね。
自分はサラ以外に面白さを提供してくれた彼を中心軸の1つとして見ていただけにラストの展開だけは勿体なく感じてしまいました。

第3の選択肢とその結末

ラストの展開へと繋がるサラと“ダブル”の出会いにより提示される第3の選択肢。

これがこの映画でらしい部分ではあると思いますが、どうしても肩透かしを感じてしまう部分でありました。

決闘前に出会うサラと“ダブル”。

ここで彼女達は互いに決闘までの1年を語り合い、そして自分達と同じように決闘をして生き延びた人間達の集会“決闘の生存者を支える会”へと参加します。

そこで生き延びた人間の苦痛と後悔、そして手にかけたトラウマで家族とも上手く暮らせない。
正直なところ当たり前の話ではあるんですが、この映画で最も人の命という物に向き合っているシーンでもあります。

決闘をするということは生き残った人間はある意味で自分を殺すということでありそして生き残ってもその罪悪感で救うはずだった家族と上手く暮らせなくなる。
もう命を奪うという選択をした以上本当に当たり前の話ですよね。

でもそんな当たり前の話ですらここに来るまでに出てこない、そしてその当たり前の話を聞いた上でサラには1つの心境の変化が生まれます。

それは決闘をするのではなく“ダブル”と共に国境を超えて逃げて2人共生き延びること。
これは社会制度への反発となる行為であり命を尊んだ決断でもあります。

こういうディストピアな部分がある映画ならやっぱりこういう展開になるよねと思っていました。

この後の展開を見るまでは。

決闘当日に“ダブル”と共にしっかりと準備をして共に森へと赴き国境越えを試みようとするサラですが、
その直前に“ダブル”から貰った水、そこに入れられた毒により彼女は命を落とします。

決闘の時間、会場に現れたのはサラに成りすました“ダブル”。
彼女は不戦勝を勝ち取りサラの人生をそのまま乗っ取り涙をしながらこの映画は幕を閉じます。

正直言ってこれは完全に予想と期待を裏切る展開でした。
まさか決闘をすることもなく社会に対抗することもなく終わるとはまるで予想していませんでした。

はっきり言うと肩透かしな展開であり、番外戦術で終わるならサラが訓練しようが自棄になって遊び倒していようが関係ない結末だなと言わざるを得ません。

これはトレントとの訓練が丸々必要なかったということに等しいので残念でしかなかったですね。

一応毒殺という結末なので訓練途中でサラが唯一正解出来なかった座学でやられたということで伏線にはなってはいるんですが、それなら策を打ち破る方向で進めて欲しかったなと。

1番の見せ場となりうる決闘、もしくは対抗も無いのは盛り上がりに欠けてしまったなと言わざるをえませんでしたね。

誰のための人生か

ストーリー的には肩透かしな展開で終わってしまった映画ですが、
ラストの“ダブル”の慟哭、そして彼女達の人生へ接する周囲の存在を見ると人生というものを少し考える話にはなっています。

“ダブル”はサラの“継承者”としてサラの母や恋人であるピーターと関係を深めていき、
サラの病気が完全寛解した頃にはすっかり周りの信頼は彼女に移ってしまっていました。

周りの人間はオリジナルのサラが存在していると分かっていながら“ダブル”の方を恋人として娘として選択します。

はっきり言ってこの2人はかなりのイラつく人間でもあるのですが、
なぜそうなったのかそれを考えると“自分”の人生というものが誰によって決められるのかと少し考えてしまいます。

元々サラ自体は母から過干渉され疎遠であり、逆にピーターには自分が過干渉してしまい彼からやや敬遠されてしまっていました。
そこに現れたサラの“ダブル”彼女はある意味2人にとっては理想のサラでもあったわけなんですね。

もちろん落ち度は完全にピーターと母にありますがサラもここで自分の人生の振る舞いというのを突きつけられるようになったのではないでしょうか。

自分である存在がここまで上手く行っている、それなら自分の今までの振る舞いが悪かったのか?だから乗っ取られてしまうのか?
いつの間にかこっそりと…ではなく目の前で堂々と同じ存在に乗っ取られるからこその考えが浮かぶ構成になっています。
それはそれとして決闘になると分かっていながらこの選択をする母とピーターはとんでもない人間ですが。

ただこのような選択をあっさりと取られてしまうのは“ダブル”という制度が当然のものという認識の世界観でのズレた倫理観と命の価値の低さがある故でもあるのですが。

しかし“ダブル”の方もサラと邂逅した時の会話でピーターと母への不満を漏らしています。
そしてその前には実はサラがピーターと会い、酷い別れ方をしたことのわだかまりを解いているシーンもあります。

そこからのラストの第3の選択肢で会場に現れたサラになりすました“ダブル”、
その“ダブル”が母とピーターに手を振るとサラとして現れたにも関わらずにこやかに捨てたはずのオリジナルに手を振る2人。

これを見るとこの2人は都合のいい存在であればどちらでもいいと思っている節が見え隠れしているように感じます。

当時は理想であるサラとして“ダブル”を選択しましたが、今現在は“ダブル”が2人に不満を持ち逆にサラは少なくともピーターとは和解している、
そんな経緯の後に今度はオリジナルを選んでいる姿を見ると、彼らにとってはサラの人生を生きるのはどちらでも良くあくまで自分達にとって都合がいい存在であればどちらが残ってもいいと思っていたのでしょう。

結局こんな不誠実な人間のために苦心し、尽くそうと思ったのがそもそも間違いだったのかもしれません。

元々は彼らのための人生の選択だったはずなのに彼らはサラという人間の選択や人生には興味はない。
最後の“ダブル”はおそらく痛い程それを理解したことでしょう。

1番の理解者を自ら殺害し、本音が見えてしまった人間と共に生きていくしかない。
これから彼女は誰のための人生を生きるのか、最後の慟哭、サラが眠っている森を写し続ける無音のスタッフロールで推測するしかありません。

不誠実な人間なんて自分の人生から弾き出してどこまでも自分のためだけに生きた方がこの2人はおそらく幸せになれたことでしょう。

まとめ

視点やシチュエーションは面白い映画でした。

決闘に向けての訓練の細かさや壊れた倫理観での常識というものはよく出来ていたと思います。

そういう積み重ねがあるからこそやはりラストの選択に不満を持ってしまう要因にもなってしまいますね。

細かい訓練をやったのであれば実戦を、壊れた倫理観と世界の常識をやったのであればそこに楔を打ち込むような選択を、
このどちらかあるいは両方をどうしても期待してしまうのが人の常ですのでやはりラストには肩透かし感があります。

ただ彼女達が誰のために人生の選択をしたのかという部分を見るとそこには面白さがあるのは確かです。

システムや命のやり取りという大きい視点の話として見るのではなく、個人の人生というもっと小さい視点から見る映画だったのでしょうね。


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