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今年公開のバイオハザード実写映画の新作バイオハザード(2026)
その新作前に久しぶりに2002年の方のミラジョボ版バイオハザード1作目を何となく見てみまして、改めて見るとこの1作目が持っていた力やらファンに望まれていた形のフォーマットは作られていたんだなとは思います、というか寧ろこの1作目こそが1番がそれをやれていたと見るべきでしょうか。
今回は、改めて見返したバイオ初めての実写化めあるミラジョボ版『バイオハザード』1作目について、バイオにおいての実写化において何が正解だと思ったのかを新作前に駄弁ろうかなと思います。
目次
改めて見返すとやっぱり面白い1作目
久しぶりに観ましたけど、1作目はやっぱり面白い。
公開された2002年当時といえば、まだ「ゲームの映画化=基本的には駄作になりやすい」という悲しきジンクスが色濃く残っていた時代でした。そんな中で投げ込まれた本作ですが、今改めて冷静な目で鑑賞してみても映画としてのエンタメ性やサバイバルホラーとしての緊張感がいい塩梅なサスペンス・アクションに仕上がっています。
まず物語の立ち上がりからして秀逸なんですよね。
見知らぬ巨大な洋館で、全裸に赤いドレスを纏った状態で目を覚ます主人公アリス。(当時の感覚が分かるキャッチーさですね)彼女は重度の記憶喪失に陥っており、「自分が誰なのか」「なぜここにいるのか」すら分からない。
そこに突如としてなだれ込んでくるアンブレラ社の特殊部隊「特殊戦術部隊(U.S.S.的な部隊)」と、成り行きで巻き込まれる謎の男マット。彼らに連れられるまま、洋館の地下深く——巨大製薬企業アンブレラ社が誇る最先端の秘密地下研究施設「ハイブ」へと足を踏み入れることになります。
この「記憶喪失の主人公」という設定が、映画全体のサスペンス要素としてめちゃくちゃ効いているんですよ。
視聴者はアリスと同じ視点、同じ「何も知らない状態」で暗く冷たい地下施設へと放り込まれる。進むにつれて断片的に蘇るアリスの記憶、急に発揮される常人離れした体術、そして「この中に裏切り者がいるのではないか?」という人間同士の泥臭い駆け引き。単にゾンビから逃げ惑うだけでなく、記憶のピースを拾い集めながら事件の全貌に迫っていくミステリー・サスペンスとしての軸がブレずにしっかり作られているからこそ、物語に違和感無く引き込まれるわけです。
そして、ハイブを統合制御する人工知能「レッド・クイーン」との攻防も素晴らしい味を出しています。
ホログラムの少女の姿をしたAIでありながら、感染拡大を防ぐためには手段を選ばず、人間を容赦なく閉鎖区域に閉じ込めて抹殺しようとする冷酷無比さ。アリス側の命がけの脱出劇とシステムの機械的な冷酷さの対比が密室劇としての閉塞感を極限まで引き立てていました。
もちろんゲームもやっていたプレイヤー視点だとクリーチャーデザインの再現度も文句無しです。
研究所内部の無機質で清潔感がありながらも、どこか狂気を孕んだプロダクションデザイン。そこに突如として現れる、血の気の引いた青白い皮膚と虚ろな目をしたゾンビ達。
割と当時でもゾンビ描写は色々と派生が出来ていましたが今作のゾンビはノロノロと足を引きずりながら、圧倒的な数と死角からの急襲で人間を追い詰めるクラシカルスタイル。
このじわじわとゾンビが迫ってくるクラシカルなホラー感は間違いなくゲームの方の初代『バイオハザード』や『バイオハザード2』の精神を完璧に継承していました。

ゾンビ犬(ケルベロス)の登場シーンも最高でしたね。皮が剥がれ落ち、肉が剥き出しになった恐ろしいビジュアルのドーベルマンが無機質な実験室の廊下を猛スピードで駆け抜けてくる恐怖。アリスが壁を蹴って飛び蹴りを叩き込む印象深いシーンを含め、ホラーとアクションのバランスが本当に絶妙。
さらに、映画クライマックスに用意されたリッカーとの激闘。
長すぎる舌、剥き出しの脳子、鋭利な爪。見た目は同じでありながらオリジナルスタイルに変化する。それを列車という極限の狭小空間で襲いかかってくるシチュエーションはラストの盛り上がりとして100点満点の解答だったと言えるでしょう。
そして何と言っても、実写映画『バイオハザード』を語る上で絶対に外せないのが、あのあまりにも有名な「レーザーコンテナ(サイコロステーキ)」のシーン。

通路に入り込んだ隊員たちを閉じ込め、壁面から放たれる青いレーザー光線。1度目は回避できたものの、2度目、3度目とレーザーのパターンが変化し、最終的には回避不可能な「格子状(メッシュ状)」のレーザーが迫り来る……。

性格が悪過ぎる。
あの瞬間の隊長の終わったと言わんばかりの表情と次の瞬間に体がサイコロ状にバラバラと崩れ落ちる衝撃のショック描写。
頼れそうな人間がすぐに消えていく衝撃と合わせてこの映画を象徴するシーンであまりのインパクトの強さからか後に本家ゲーム側である『バイオハザード4』のレオンのレーザー回避イベントとして逆輸入されるという快挙まで果たしました。
映画オリジナル要素でありながら本家のノリを一切壊さずむしろ本家ゲーム側にまで影響を与えて「バイオらしさ」の一部にしてしまった。
改めて1作目を観ると、しっかりバイオ本家の臭いが漂っている…いやそれどころか逆輸入される要素もあるなど、バイオの映画として求められていた面白い要素がこれでもかと詰まった実写化としていい塩梅な1作だったのだと後のシリーズと比較しても痛感させられますね。
実写映画はこっちのフォーマットの方が望ましい
実はここが1番語りたい部分なのですが。
改めてこの1作目をじっくり鑑賞してみて強く感じたのは「ゲーム実写化映画におけるストーリーや舞台設定って、本当は1作目のようなフォーマットこそが一番の理想形だったのではないか?」ということです。
では、その「理想のフォーマット」とは一体何なのか?
それは一言で言えば、「原作のメインストーリーや主要キャラクターとは大して…もしくは全く直接的には交わらない。けれど、本編の裏側ではもしかしたらこんな絶望的な戦いが繰り広げられていたのかもしれない」と思わせるサイドストーリーとしてのフォーマットです。

ゲーム『バイオハザード』シリーズの魅力というのは単にジルやクリス、レオンやクレアといった名物キャラクターたちの魅力だけではありません。
あの世界観の根底にあるのは「アンブレラ社という巨大製薬企業が引き起こした生物兵器(B.O.W.)のリーク事故」であり、その極限状況下に放り込まれた名もなき人々、知られざるサバイバーたちが生き残りをかけて繰り広げるシリーズで言えば『アウトブレイク』のような決死のサバイバル劇そのものなんですよね。
映画の1作目は、その本編の裏側の戦いを想起させる距離感が完璧に作られていました。
ラクーンシティの地下深くに存在するハイブで何が起きていたのか。S.T.A.R.S.が洋館事件(ゲーム1作目)に巻き込まれる直前に、一体どんな絶望的な事故と隠蔽工作が行われていたのか。
原作の知識を持っているファンなら「あ、これってあの事件の裏で起きていたかも」と脳内補完して世界観の深みを楽しめるし、ゲームを知らない初見の観客でも「怪しい施設からの脱出劇」としてストレートに楽しめる。
この「原作との付かず離れずの絶望的な距離感」こそが1作目が大ヒットし、広く受け入れられた最大の要因だったと思うのです。
しかし、後々の実写映画シリーズ(『2』のアポカリプス以降)はどうなってしまったか。
ファンサービスという意味合いもあったのでしょうが、シリーズが進むにつれてジル、カルロス、クレア、レオン、ウェスカー、エイダといった原作の人気キャラクターたちが続々と映画の中に投入されていくことになります。
……ただ、それらの原作キャラ登場が本当に映画の面白さに寄与していたかと言われると、かなり疑問が残ると言わざるを得ません(※これはあくまで自分の主観的な感想ですが)
なぜなら、映画オリジナルの主人公であるアリスがナンバリングを重ねるごとにあまりにもオリジナル設定で強くなりすぎているため、せっかく登場した原作の人気キャラクターたちがことごとくアリスの強さを引き立てるための前座や踏み台、あるいは単なる賑やかしの脇役に成り下がってしまっていたからです。
ゲームでは百戦錬磨の英雄であるはずのキャラたちが、アリスの超人的なアクションの前では霞んでしまい、引き立て役にされてしまう。
その結果、シリーズを重ねるごとに映画ファンやゲームファンからは「結局これって、ポールがミラジョボを格好よく撮りたいだけの超豪華なPV映画じゃないか?」という揶揄混じりの評価へとシフトしていってしまった部分があると思うんですよね。
ですが!ここで重要なのは、「1作目の時点では、ミラジョボ無双やアリスの存在に対する不満や違和感はまったくと言っていいほど存在しなかった」という点です。
なぜ1作目のアリス無双は気にならなかったのか?
理由は単純で、「ゲーム本編のストーリーや、原作の既存キャラクターたちの舞台に無理やり割り込んでいなかったから」です。
1作目のアリスは、あくまで映画オリジナルの舞台である「ハイブ」の中で、映画オリジナルのキャラクターたち(レインやスペンス、マットなど)と共に戦っています。原作のキャラクターの出番を奪うこともなければ、原作の戦績や格を下げることも一切していない。
自分たちのためだけに用意されたオリジナルのフィールドで戦っている以上、その舞台の主人公であるアリスが一番活躍し、圧倒的なアクションで無双するのは映画として極めて自然で、当然のエンタメ構造なわけです。
「アリスというオリジナル主人公が活躍すること」自体が問題だったのではなく、「原作の舞台やキャラクターたちの領域に過度に踏み込み、侵食してしまったこと」が後のシリーズにおける評価の分かれ目だったのではないか。
そう考えると、やっぱり実写映画という媒体においては、無理に原作の主人公たちを引っ張り出してきてツギハギのストーリーを作るよりも、原作の裏側でもしかしたら起きていたかもしれない戦いをを描くスタイル……
この1作目のようなフォーマットこそがベストであり、ゲームの舞台に過度に踏み込まなければ、実写映画のバイオハザードってちゃんと面白くなるんですよ。
まとめ
改めて見返してみましたが、やっぱり実写映画『バイオハザード』の1作目は面白い。
というかこの1作目がちゃんも面白く、映画として極めて高い完成度を誇っていたからこそその後全6作にわたってシリーズ展開するパワーを得られたわけですからね。
原作ゲームのストーリーにベッタリ依存するわけでもなく、かといって原作の魅力を無視するわけでもない。
「本編の裏側で、もしかしたらこんな絶望的な戦いがあったのかもしれない」と思わせる絶妙な距離感のフォーマット。それによって、プレイヤーが知っている「バイオハザード」という世界観がさらにどこまでも広がっていくような想像力を掻き立てる見事な物語構成でした。
そして、今年公開される期待の新作映画『バイオハザード(2026)』
事前に公開されている映像や雰囲気を観る限り、どうやらこの1作目の距離感へよ原点回帰とも言える「静かな恐怖」「閉鎖空間でのサバイバル感」、そして何より「生々しいサバイバルホラー」の雰囲気を漂わせているんですよね。
そうなると今回の新作はミラジョボ1作目が持っていた奇跡的な塩梅な距離感を踏襲した実写映画に再びなってくれるのではないかと個人的に期待で胸が膨らんでおりますよ。
何より超人的な体術を持った無双キャラではなく極限状態に叩き込まれた一般人っぽい人々がゾンビやB.O.W.の脅威に怯え、混乱し、翻弄されながらも泥臭く足掻く……あの本家ゲームで言うところの名作『バイオハザード アウトブレイク』を思わせるような泥臭いサバイバル路線。
こういう「普通の人間たちが必死に生き残ろうとするバイオ」の空気感…
これが再現されていれば実写バイオ映画としては最高傑作になるかもしれませんね。
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