【映画】K.O. 感想 小さく纏まったいいアクション映画【Netflix】

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製作国

フランス、ベルギー

監督
アントワーヌ・ブロシエ
脚本
アントワーヌ・ブロシエ
出演者
アリス・ベレイディ
シリル・ガーヌ
マチュー・レストレード
フエド・ナバ

抱えている感情を全て払拭する必要なんてない
でも形を変えて向き合い方を変えれば

見える世界も変わっていく
小規模ながらストーリーもアクションも

よく纏まった映画でした!

 今回ネトフリオリジナル映画、K.O. の感想。

 拭いきれない罪を抱えて後悔する男、復讐という“怒り”を抱える者。それらの感情をどういう形で受け入れるか。

 どんな時でもこの感情という物との向き合いというのは難しいテーマではありますが、果たしてこの映画は結論を出すのか。

 そして総合格闘家であるシリル・ガーヌが繰り広げる映画的なケレン味もしっかり交えたアクションも見逃してはいけませんぜ。

 ジャンルはアクションで上映時間は約84分となります。

あらすじ

数年前の試合で、誤って死なせてしまった対戦相手の息子が消息不明に。その捜索を依頼された元格闘家は、マルセイユの暴力的な犯罪組織に立ち向かっていく。

Netflixより
Netflix

この映画を配信している配信サービス

※2025年

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登場人物

バスティアン

元総合格闘家

王者エンゾへの挑戦の試合で不慮の事故で彼の命を奪ってしまい、それ以降世捨て人のように暮らしている

エンゾの妻エマから行方不明になった息子レオの捜索を贖罪として受けるように依頼される

ケンザ・アラウィ

マルセイユの警部

凶悪犯罪者マンシュール兄弟と因縁があり、彼らを追っている

事件の目撃者であるレオを保護するためにバスティアンと行動する

レオ・プランス

エンゾの息子

父の試合観戦中に目の前で父の命を奪ったバスティアンを恨んでいる

父の死後、不安定になり自身を放置した母エマの元から家出をしていとこの元で非行に走ってしまう

マンシュール兄弟による殺人事件を目撃し、彼らに追われる

エマ・プランス

エンゾの妻

エンゾの死後不安定になってしまいレオの家出を招いてしまう

バスティアンに行方不明となったレオの捜索を彼の罪悪感に漬け込む形で依頼する

マンシュール兄弟

拷問や薬の取引を当然のように行う凶悪犯罪者

周辺の組織を巻き込み、帝国を築いていっている

ざっくり概要

 総合格闘技の挑戦者バスティアンと王者エンゾの試合。
 その試合の最中、不慮の事故によりバスティアンの手により王者エンゾは命を落としてしまう。

 深い後悔の中、エンゾの墓参りに訪れたバスティアン。
 しかし、そこに現れたエンゾの息子レオの激しい激昂と罵倒、そしてエンゾの妻エマに帰ることを促されたバスティアンは謝罪をしながら静かに立ち去るしかなかった…

 2年後、フォカイアの街。

 刑事であるアラウィはヤクの売人のボスであるアンダルーの行方不明、そしてその部下が見せしめとして殺害された光景を見て、自分が追っている犯罪者マンシュール兄弟の仕業だと確信する。

 だが、決定的な証拠がないため勇み足として判断されるも、その時彼女の元にレオからの着信が入る。

 レオに呼び出された場所に着くと彼からアンダルーが攫われたこととその時の事件を目撃したと告白される。

 更に話を聞こうとするアラウィの元にやってきた警察の姿を見てレオはアラウィの静止を遮って逃亡してしまうのであった。

 その頃バスティアンはあの試合以降フラッシュバックに苦しみながら、日雇いの肉体労働をして世捨て人のように日々を過ごしていた。

 そんな彼の元に現れたのはエンゾの妻エマ。

 彼女はバスティアンにあの日以降不安定となってレオを放置してしまった結果、いとこのユーゴと同居を始めレオがクスリの売人をしたことを知らされる。
 そしてエマの元に事件性を感じる最後の連絡を入れた後に5日間も連絡がつかなくなったことも。

 バスディアンにレオから父を奪った贖罪としてレオの捜索を要求するエマ。バスティアンはエマから数珠を受け取り、その要求を呑むのであった。

 レオの捜索を請け負ったバスティアンは手始めに同居をしていたとされるユーゴの元を訪ねる。しかし、既に部屋は荒らされていてもぬけの空となっていた。

 そこに現れたアラウィに後ろから銃を突きつけられるバスティアン。誤解を解き部屋を調べた後にユーゴが激しい暴行を受けて病院に入院したことを知る。

 バスティアン達と同じように目撃者であるレオを探すマンシュール兄弟。
 それとは別に誘拐したアンダルーを拷問し、家族を人質にして、彼が仕入れた大量のクスリの在処を吐き出させる。

 そしてレオの捜索のために仲間を呼び、仲間内でレオを指名手配して、徹底的に探そうと試みるのであった。

 病院に訪れたバスティアンとアラウィ。

 自分をまだ信用しないアラウィに自分がレオの父を試合中に殺害してしまったこと、その母親から依頼を受けたこと告白し、彼女からある程度の信頼を得る。

 激しい暴行を受けたユーゴからレオと共にいた少女イナヤとその姉のファトゥの情報を得るアラウィ。

 情報を得て病院を後にしようとする2人の前にマンシュール兄弟の部下が現れて捜査に釘を刺そうとする。

 そしてその中で自身の兄に関することで挑発を受けたアラウィは取り乱して、彼らを激しく暴行してしまう。

 単独行動の中で起こした事態に警察で上司から激しく叱責されるアラウィ。そして内部調査が終わるまで彼女に停職処分を下す。

 それでも身軽になったと言うバスティアンと共に引き続き2人はレオの捜査を続けるのであった。

 ファトゥが働くポップ・クラブに向かうバスティアン達。彼女にイナヤについて聞き出そうとする2人だったが不審がられ店の用心棒と争いになってしまう。

 用心棒達を全て返り討ちにし、ファトゥからイナヤが母親のアパートにいることを聞くことに成功した2人。
 しかし、そのアパートの場所は警察すら立ち入らないフレヴァロンにあった。

 夜に行くのは危険だと判断したアラウィは用心棒との争いで怪我をしたバスティアンの治療のことも考えて翌朝に向かう判断をするのだった。

 バスティアンの怪我の治療するアラウィ。

 そして彼に自分がなぜあの時マンシュール兄弟の部下の挑発で取り乱したのかを語り出す。

 自分と兄、そしてマンシュール兄弟は同じ地域で育った間柄だった。
 しかし、アラウィの兄が若者の支援活動を始めたのに対し、マンシュール兄弟は闇の商売を始め、そしてアラウィの兄をイスに縛りつけ焼き殺し、その映像をアラウィに送っていた…

 兄弟はサイコパスではあるものの賢く、周辺の組織を飲み込みながら帝国を築いている。しかし、必ず捕まえるとアラウィは誓っていたのだった。

 その頃マンシュール兄弟はバルタリーを見せしめに殺害して他の組織を更に取り込む。

 一方で警察はクラブでバスティアン、そして停職しているはずのアラウィが用心棒と争った映像を見て、ファトゥから事情聴取をし、彼らが向かっているのかを掴むのだった。

 翌朝、アパートに向かいレオとイナヤと再会するバスティアン達。

 しかし、レオはバスティアンの姿を見て共に行動するのを頑なに拒んでしまう。
 それでもアラウィとバスティアンは怯えるイナヤのためにレオに共に行動するように説得する。

 説得を受け入れて、安全な場所へと向かおうとする一行。

 しかし、兄弟の放った兵隊、そして警察達も既にアパートへと向かっているのだった。

小さく纏まったいい映画

 贖罪と復讐、それに必ず纏わりつく“怒り”との向き合い方。
 これらを贖罪するもの、復讐する者、許せない者で描き、小さいながらもしっかりと纏まったいい映画でした。

 実際の格闘家シリル・ゲインを起用したことでアクションにも重厚さのある説得力を出しており、こういうアクション面はネトフリらしくしっかりと外さない映画でもありました。

怒りと向き合い方

 今作は贖罪と復讐、それぞれの目的で行動をする者達を主軸に進んでいく物語。

 この2つに纏わりつく物は簡単に言ってしまうと“怒り”、この“怒り”とどう向き合うか、どう消化するかをテーマにひたすらに進み続けた物語でした。

 この映画“怒り”を抱えている者は2人います。

 過去の出来事から手段は考えれど、復讐を考えている者である女性警官のアラウィとそして試合で父の命を奪われ許せなくなった者のレオ。

 そこに“怒り”を乗り越えた者であり、“怒り”を背負わせてしまった者である主役のバスティアンが物語を導いていくわけです。

 バスティアンは総合格闘技の試合で挑戦者として王者エンゾに挑み、そして試合の中で不慮の事故とも言える形でエンゾの妻エマと息子レオの目の前で彼の命を奪ってしまう形になるんですね。

 その結果としてレオからもエマからも当然強く恨まれ、そして世捨て人のような形で過ごしてしまう。

 その後エマは失意の中でレオにあまり構えることなく、レオは家出をしてしまうと、要は相手の家族をも崩壊させてしまった。

 そんな中でレオがとある殺人事件を目撃して、犯人達に追われて行方不明になった中でエマがバスティアンにエンゾを殺害した贖罪を、言ってしまえば責任を取らせようとする形で捜索を頼み巻き込む形になるわけですよ。

 これ多分、エマとレオに対しては結構反発を覚える人は多いと思います。なんなら自分も覚えてはいます。

 あくまで試合中の不慮の事故、しかも契約的には当然リスクとしては互いに同意をしていたでしょう。そしてバスティアンは強く後悔もしている。
 だからこんな形で恨むことも罪悪感を利用する形で巻き込むことに対して嫌悪感も抱きはする。

 でも、それも第三者の目線で言ってしまえば事実の羅列だけを見て、消化しきれない感情を見ないで判断するからこその感情なんですよね。

 でも、この映画はその消化しきれない感情である“怒り”への向き合いをテーマにしているので、この消化しきれないことによる冷静ではいられないことが大事なんです。

 大きな事件に巻き込まれたレオとは後半にバスティアンは再会します。そして当然レオは急を要する事態の状況にも関わらずバスティアンの手助けを拒むと、やっぱりイラッとは来ます。

ここに至るまでのバスティアンの奮闘を見ているから尚更。

 でも彼の体を張った行動を見て少しずつその“怒り”には変化が及んでいく。

 そしてもう1人“怒り”を抱えているのが警官であり、バスティアンと共に行動するアラウィ。

 彼女はこのレオが行方不明となった事態の中心にいるマンシュール兄弟というサイコなギャング野郎への復讐を誓っています。

 こいつらは本当にクズ野郎でアラウィの兄をかつて椅子に縛り付けて焼き殺し、その映像をアラウィに送るという倫理観が完全に終わっている野郎共です。

 バスティアンとレオ達のような関係性とはまた違い、こいつらにアラウィが抱える“怒り”というのは至って正当なんですよね。

 そして彼らに突きつけられるのは当然この“怒り”の消化。

 レオを救ったバスティアンは彼に自分の生い立ちを語り、レオと同い年の時に自分も父を亡くし、レオと同じように非行に走ったことを語る。

 そして同じような境遇の彼に“怒り”は消えることなく存在し続けるけど、人との出会いに恵まれれば形は変えることは出来ると伝えるわけですね。

 そしてその後、レオを追って襲撃してきたマンシュール兄弟との対決では(ちなみにここかなり緊張感あります)兄弟の片方を担当してアラウィの復讐を果たす文字通りの暴力的な意味での力になる。

 レオに対してはかつての自分と同じ境遇に追いやってしまった負い目もあり、自分への恨みを残したままでいいから“怒り”への向き合い方を変えるように導き、そして純粋に更生不可能野郎共へのアラウィの“怒り”には死を持って払拭をさせると。

 こうやって“怒り”を乗り越え、“怒り”を与えてしまった者が“怒り”の向き合い方や払拭の導き手となるのが渋さのあるドラマになっていましたね。

 この映画、“怒り”に対して綺麗事はあんまり言いません。
 “怒り”を乗り越えろとは言いませんし、復讐なんて良くないとも言いません。

 抱えてしまった物を簡単に割り切れるなんて出来ないんだから、それとの付き合い方やどうしようもないクソ野郎なら殺してスッキリさせようという考えです。

 そう、お上品に腹の内に煮えたぎった“怒り”を無視して無理やり押さえ込んでまで許す必要はないんですよね。
 でも受け止め方を変えていけば見える世界は変わってくる。乗り越えるという形ではなく、“怒り”自体の形を少しずつ変えていく。

 それは“怒り”を抱え続けられる事にも当然繋がるのですが、例え形を変えた“怒り”で恨まれ続けられるという選択肢でもそれを伝えられるバスティアンの姿が“漢”なんですよねぇ。

 そしてこの映画は“怒り”と向き合う映画でしたが、バスティアンを見ると、彼は“怒り”を乗り越えた者であり、“怒り”背負わせてしまった者、そして物語の導き手でもあり、そして彼自身は別の感情を乗り越えなくてはいけない存在でもあるんですよね

 彼が“怒り”は形を変えていくと受け止め方で変わるとアドバイスしたように、彼の“悲しみ”や“後悔”もきっと“怒り”と同じ、
 だからこの物語においてバスティアンは導き手というだけではなく、“怒り”とは違う感情の形を変えていくことを提示する存在でもあったのだと思います

 話の構造自体は子供を救うマッチョな映画で王道ではあるんですが、抱えている感情との向き合い方。(乗り越え方ではないのがミソ)
 これに関してはとても大人で誠実、小規模でもしっかりと纏まった内容でした。

格闘家のアクションは違えや

 この映画で忘れてはならないのがアクション映画なので当然アクション。

 ここら辺はネトフリなので基本心配はしていないのですが、今作も重厚感のあるいいアクションでした。

 バスティアンを演じるのが総合格闘家のシリル・ガーヌだったためアクションのリアル感や重厚感、説得力がすんばらしい!

 最近紹介した映画だとノックアウト・ガールが同じように格闘家を使ったアクション映画ではあったのですが、

【映画】ノックアウト・ガール 感想 積み上げた物に対してのオチと展開が…

 あちらがリアル感を追求しすぎて映画的なケレン味に欠けていたのに対して、こちらは映画であることをちゃんと意識したアクションで良かったです。

 シリル・ガーヌのアクションの動きの良さはそのままにカメラワーク、重いSE、後は少し大袈裟な動きを取り入れてリアルさがありながらも映画的なケレン味はちゃんとたっぷりと詰まっておりました。

 特にバイクを使ってに乗っていた連中をすれ違い様に叩き落とすのはかっこいい。やっぱ映画たる物、これくらい迫力のある嘘はついていいんですよね。

 動きは勿論ですが、見た目の説得力も凄い…いや、やばい。

 実際の格闘技を行うために鍛え抜かれたガタイは映画的な肉体とは違った魅力と説得力がある。
 刺されても立っている姿なんかはこれこそリアル感なく完全にケレン味重視なんですが、映画的な言ってしまえば映像や展開的な嘘が入っていい世界だとこのケレン味がガタイのおかげで説得力としかねえんですわ。

 やはり実際に体を使って命懸けでリングで鎬を削った人間のアクションは攻めても受けてもどこか魂が宿っている。このアクションこそがこの映画の真髄と言えるでしょう。

まとめ

 1時間半くらいの小規模ネトフリ映画の期待に漏れない映画でした。

 これくらいのネトフリオリジナルって語弊がある言い方になってしまいますが、B級映画を上品に破綻なく纏めて、それでいてアクションはトップクラスに表現してくれるため、元々B級好きな自分としては刺さる部分が多いんですよ。

 当然この映画の良さはそんなB級的な部分ではなく抱えている割り切れない感情に対して真摯に向き合っているストーリーこそがいいところなんですけどね。

 小規模でありながらストーリーもアクションも纏まっている。これくらいの映画は気軽に見れながらも感動出来るんでありがたい。

 これからもネトフリ君には大作思考だけに偏らずにこれくらいの規模の映画をコンスタントにたくさん作って楽しませてほしいものです。

これを続けてくれるうちは解約しないよ。


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