【映画】悪夢の住宅街 考察捗る映画 ビバリウム ネタバレあり感想

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ビバリウム
© Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

製作国

アメリカ、ベルギー、アイルランド、デンマーク

監督
ロルカン・フィネガン
脚本
ギャレット・シャンリー
出演者
ジェシー・アイゼンバーグ
イモージェン・プーツ
ジョナサン・エイリス
アイナ・ハードウィック

今回は謎の住宅街に囚われたカップルを描いた映画ビバリウム(原題:Vivarium)の感想。

この映画を一言で言うなら世にも奇妙な物語。

人間味のない住宅街に囚われ、成長が早い不気味な子供を育てるというこの構成はまさにそれとしか言いようがありません。

とても淡々と進む映画なんですが、こういう映画を見ているとちょっと賢くなったような気分に浸れるのがいいですね。(実際はそんなことはない)

サラッと家族の形という社会性のあるテーマも入れておきながら、不気味に進むこのストーリーはなかなかに考察しがいがあって飽きない映画ですよ。

ジャンルはSFスリラーで上映時間は約97分となります。

ここが見どころ!

・囚われた住宅街で営まれる歪な家族の形

・育てられる少年の不気味さ

・考察しがいがある世界観とストーリー

あらすじ

トムとジェマは新居を探している若いカップル。ある日ふたりは、ふと足を踏み入れた不動産屋から、全く同じ家が延々と並ぶ住宅地<ヨンダーYonder>を紹介される。営業トークに負けて現地をたずね、さて内見を終えて帰ろうとすると、ついさっきまで案内してくれていた不動産屋が見当たらない。不安を覚えたふたりは、帰路につこうと車を走らせるが、どこまでいっても景色は一向に変わらない。ふたりはこの住宅地から抜け出せなくなってしまったのだ―。そこへ送られてきた一つの宅配段ボール。中には誰の子かわからない生まれたばかりの赤ん坊と謎のメッセージ。果たしてふたりはこの住宅地から出ることができるのか―?

DMM TVより

ビバリウムを配信している配信サービス

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登場人物

ジェマ

先生

恋人のトムと家探しをしている中“ヨンダー”を紹介され、下見をしたところ住宅街に囚われる

トム

ジェマの恋人で庭師

“ヨンダー”に囚われた後、庭の不自然な土を見て穴を掘り脱出を試みようとする

マーティン

ジェマ達に“ヨンダー”を紹介した不動産の男

男の子

“ヨンダー”に囚われたジェマ達にこの子を育てろという指令の後に送られた子供

成長が異様に早く、ジェマ達を観察するような素振りを見せる

囚われた住宅街で子供を育てる不気味なストーリー

ジェマと恋人のトムが将来のマイホーム探しのために家探しをしている中で不動産のマーティンから紹介された“ヨンダー”という住宅街、
そこに囚われ、解放されたければ子供を育てろという指令の元、知らない子供を育てさせられると言うのが本作のストーリー。

ビバリウム
© Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

あらすじだけだと大分不気味なんですが、実際のところ物語においては起伏や盛り上がりは少なめなストーリーとなっています。

分かりやすく言えば世にも奇妙な物語。

ひたすら変化の無い同じ色、同じ形の家が立ち並ぶ住宅街で不気味な日常を過ごさせられるだけというのでそりゃそうだという話なんですが。

そこに彩りを添えるのがジェマ達に送られてくる男の子。

ビバリウム
© Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

この男の子、一言でかつ乱暴な言い方をするとクソガキです。
たった90日で赤ん坊から少年にまで成長し、見た目にそぐわない低い声、お腹が減ったら奇声を上げて、常にジェマ達を観察して真似をするという、
百歩譲って自分の子供ならまだしも他人の子供でこれは可愛くも何ともない。映画界でも屈指の可愛くない子供といえるでしょう。

ですがこの子が言うまでもなく物語のキーマン。

この子の行動の変化、成長、これらと共に関係性の変化や狂気が加速していくと言っても過言じゃないです。

まぁ上でも言った通り変化のない街、変化のない生活の中で1人だけ異様な速度で成長していく、そんな中で不気味なだけで可愛く無い子供だけが変化していくとなると気も狂うってもんです。

ぶっちゃけてしまえばこの男の子は人外の存在、これに関しては言うまでもないでしょうが、その目的は自分達を人に育てさせて巣立たせる、
この映画は冒頭でカッコウの托卵の映像が流れるのですがそれをそのまんまやってるということですね。

そして役割を終えた夫婦は袋に入れられて捨てられ、成長した男の子はジェマ達を案内した不動産に赴き僅かな期間で年老いてしまったマーティンを処分して男の子が新たなマーティンになる。

謎の存在に目をつけられ謎の住宅街に囚われ、そしてその子供を育てさせられて捨てられ人生を終えるという。

色々考察する部分はあるんですが、そこら辺は後で自分なりに詳しくやりますが、
ストーリーとしては本当に世にも奇妙な物語を見ているようなストーリーでした。

ただただ不気味な子供に翻弄され謎の存在に托卵させられた哀れなカップルの人生。
最初に言った通り大きな出来事は少な淡々と不気味さが加速していくだけなのになぜか見やすく引き込まれるんですよね。

これは俳優陣の演技は勿論断片的な情報で常に考察をさせられ、どういうオチになるのかと飽きずに予測をさせ続ける構成が大きかったなと思います。

特に男の子の存在はでかいです。でかすぎます。

こんなに子供と言う存在で可愛さを一切感じない不快なだけの存在は珍しいですね。
これに一瞬でもジェマが母性に近いものを見せたのは賞賛するレベルですよ。

オチもしっかり不気味で謎や目的はしっかりと明かされる、けどこの営みは続いていく、そして結局彼らが何なのかは分からない、
ジェマ達が直面した事態は明らかになれどそれ以外の情報は明かさないといういい塩梅、もっと言えば必ずしも明かす必要のない部分の謎の残し方がまた何とも不思議さと不快さのある余韻を残してくれましたね。

しつこいくらい例えに出してしまいますが世にも奇妙な物語が好きな人ならハマる部分はあるそんなストーリーでしたね。

鮮やかさは時に恐怖や狂気に

この映画の舞台である“ヨンダー”は決しておどろおどろしい舞台ではありません。

寧ろミントグリーンのとても鮮やかな色彩の舞台となっています。

しかし、こういう明るさや鮮やかさは時に狂気を感じさせるというのは昨今だとミッドサマーなどが証明してくれ、
この映画もそれに漏れることはない狂気を滲ませできます。

鮮やかとは言いましたがこの“ヨンダー”という住宅街は全て同じ形、同じ色で構成された住宅街です。
もうこれだけで結構な狂気なんですが、映画を見ると分かる通り風景ではなくセットのような模型感を感じるのです。

何というか息遣いを感じない世界です。

雲はずっと同じ形でそこにあり、ジェマ達が移動しているシーンも何と言いますか、
そこにいるという感じではなく後から合成された映像にいるかのような無機質があるんですよね。

実際に合成している部分もあるんでしょうが、そういう事ではなく。

悪意を持って襲いかかる何かよりも人の作った社会や街に近いのにどこか根本的にズレたように感じるこの色鮮やかさから感じる無自覚な無機質さ。

この映画に狂気を感じるとしたら男の子の行動や不気味さよりこの単一色の鮮やかな世界だったかもしれません。

これが“家族が満足する永住の地”と言うんですからマーティン達は大概ズレている。

いくつか考察をしたい

この映画はジェマ達が直面した事態という部分話としては種明かしはされていますが、ただそれ以外は考察しがいがある内容。

というわけでいくつか気になったことを自分なりに考察したいなと思います。

マーティンの目的や正体

ビバリウム
© Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

思いっきり人外な存在だったマーティン達、まずは彼らについて。

目的に関してですがタイトルと冒頭の映像から最初からネタバレしていたようなものですね。

ビバリウムと言うのは自然の生息状態をまねて作った動植物飼養場であるとのことで、そして冒頭のカッコウの托卵の映像。

これらと本編を合わせ見て人間に自分達を育てさせるというのが1つのプロセスとなっている存在なのでしょう。

となると何でそんなことをするのかという目的なんですが、個人的にはあくまでそういう生態でしかないんじゃないのかなと思っています。

人から何かを学び取ったり、人の社会を乗っ取ろうとしているのでは?とか考えたりするんですが、
それにしてはマーティン達の寿命はあまりにも短く儚い存在だなと思うのです。

作中内だと少なくとも3桁日数経過して大人になり寿命が尽きたマーティンから新しいマーティンへと入れ替わる。

いくら何でも種としては効率悪い存在ですよね。

これは後で語るつもりですが、彼らのビバリウムとなる“ヨンダー”を見ても、作中内でのマーティンの言動を聞いても、
彼らは極めて社会性、感受性、共感性などが欠けて見える存在なんです。

そんな彼らが短い寿命で社会を乗っ取ろうというのは無理筋ですし、
何かを学び取ろうとしてもマーティン同士で知識の継承、蓄積が成されていない限り学び取る意味もなさそうかなと。

なので人に対して特別な目的や思想を持っている存在なのではなく、
それこそ虫などのように種の存続のために同じ営みを繰り返しているだけの無個性な存在なのではないかなと思いました。

一応更に上位存在や想像以上に大量のマーティンがいると考えることも出来ますが、でもそれにしても効率が悪すぎるかなと。

少なくとも3桁日数で入れ替わりながら8900回代替わりしている、それにしては人の社会に何も影響を与えていないのですから。

もしこの映画が感動作品ならばジェマ達のマーティンがジェマ達との交流の中で個性が芽生え変化が訪れるのかもしれませんが、
残念ながら本作のストーリーは繰り返されたマーティン達の代替わりの8900回のうちの最後の1つでしかない、
言ってしまえば不思議な日常の一コマでしかなかったのでそんな方向には向かいませんでしたね。

トムはなぜ死亡したのか

ビバリウム
© Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

作中で“ヨンダー”の中で穴を掘り続けて衰弱していき最後には死亡してしまったトム。

そんな彼の死因についてですが、まぁ普通に考えたら穴で疲れて寝ている時に何かをされたと見るべきなのでしょう。

食事に毒を盛られていたとかならジェマも影響も受けなくてはおかしいですし、
彼女と違う何かがあるとしたら穴の中で寝て別行動していたタイミングくらいかなと。

…そんな夢もロマンもない現実としての死因を話したいのではなくもっとメタ的な部分ですね。

深読みしてメタ的な話を見ると家族の中での役割や一生が終わってしまったから死亡したと見ています。

本人達にはさらさらそんな気はありませんが、一応ジェマ、トム、マーティンは家族という形にはなっています。

そんな中で母親の役割を与えられているジェマは中盤でトムに殺されかけたマーティンを思わず助けてしまい面倒も見ると母性を見せています。

そしてトムは何かをしていないと落ち着かないと穴掘りを続ける、
これは父親が家庭外に出て“仕事”をしているということなんでしょう。

マーティンに対してそんな情を見せる必要もなく、また“ヨンダー”の中で仕事をする必要なんてない、に
も関わらず無意識でも子供を育てる母親の仕事、無意識でも何か仕事らしい仕事をしなくちゃ落ち着かない父親と、
今じゃ怒られそうなテンプレートな形の家族の営みを続けてしまっています。

これはこの映画からの皮肉めいた主張でもあり、そしてトムがメタ的に死んでしまった理由にもなっているなと思いました。

上でも言った通りマーティンは成長が早く寿命が尽きるのも早い存在です。

子供としての役割のマーティンがそんな存在ならば家族としての役割、
そして一生が終わるのもまた早いと言うことになる。

子供が大人になった時点で“仕事”をして稼ぐだけで子供に見向きもしなかった父親の役割が終わるのも早い、そんな主張を感じましたね。

メタ的な部分をなくすとそれこそマーティンが成長したので用済みになったと言うだけなんでしょうけどね。

“ヨンダー”

ビバリウム
© Fantastic Films Ltd/Frakas Productions SPRL/Pingpong Film

この映画の舞台となる“ヨンダー”

誰が最初に始めたのかは分かりませんが8900回マーティン達が育てられた場所でもあります。

この“ヨンダー”、実に形だけは人の住む家を模しているのですが、
その実、人間性に欠けた住宅街となっています。

同じ形、同じ色の家がただ立ち並び空にある雲はこれまた同じ形、同じ場所で佇むだけという、
これは上で考察した通りマーティン達に社会性、感受性、共感性、が欠けているからではないかなと思っています。

形や上部だけを真似ただけで独創性には欠けている、ここら辺も彼らを虫っぽいと思った要因なんですが。

マイクラで家作らせたら豆腐ハウスになっちゃう的な。

そんな上部だけ真似ているような“ヨンダー”ですが、後半でもう1つ気になる点が出てきます。

それがジェマがマーティンを襲撃して彼に逃げられた時に入り込んだ他の“ヨンダー”と思わしき世界。

同じようにマーティンを育てさせられる営みを続けさせれている人間、嘆いている女性や自身の命を絶っている男性に出会す事態になりました。

この入り込んだ世界は色が赤や青に染められた世界でそこの“ヨンダー”は多分1色の住宅が建ち並んでいるのでしょう。

そんな他の“ヨンダー”はどこだったのかというのは謎が残る部分です。

“ヨンダー”から“ヨンダー”に繋がるということはもしかしたら平行世界的な物なのか、それとも同じ世界の別の場所で行われていることなのか。

個人的には後者だと思っているのですが、ジェマ達が出られなくなったように世界から隔絶することは可能な場所なのでどちらに転んでもおかしくはない話なんですよね。

どうであれ取り込まれたら終わりってことですね。

まとめ

起伏のあるストーリーではないですが、不気味さがとてもいい味を出している映画でした。

こういう考察しがいがある映画は例え自分の考えが的外れだったとしても常に考えさせれられ引き込ませられるので自分は好きですね。

難解過ぎるとキャパが追いつかないのですが。

少ない人物、1つの舞台という構成も大分広義的な範疇に入ってしまいますが、閉鎖空間映画好き的にもたまらない構成でした。

自分の考察があっているとはサラサラ思っていないので、色々な方に見てもらって色々な考察を世に放ってもらいたいそんな映画でした。


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