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少し前に新作バイオハザード(2026)の実写化前なのでという理由で改めて過去のバイオを見てみようと思いミラジョボ版バイオ1作目の感想を出しましたが、
今回はもう1つの実写化『バイオハザード: ウェルカム・トゥ_ラクーンシティ』の感想を。
ミラジョボ版とは違い、クリス達を始めとした原作キャラを主役に、そしてストーリーも原作の1、2を下地に作ったという、その設定やあらすじだけを見ても原作との距離感が物凄く近い実写化。
自分はまだ見たことなく今回が初見、ただあまり評判が良くないということを耳にした上での視聴。
結果として言うと自分もミラジョボ版での感想でも書いた距離感が主な理由で失礼ながら感想にそこまでの熱量を出すモチベーションが持てず。
その結果感想も短くなりましたが、短いなりに個人的な拘りをベースとした上での感想を語っていこうと思います。
原作キャラをそのまま主役にする難しさと距離感の壁
前回のミラジョボ版1作目の感想記事でも詳しく触れましたが、個人的にゲームの実写化映画において最も重要であり、同時に最も不評になる要因になり得るのが「原作との距離感」だと思っています。
そして、その距離感をギリギリまで縮め、原作ゲームの主要キャラクターたち(クリス、ジル、レオン、クレア、ウェスカーなど)をそのままスクリーンに並べ立て、ゲームの『1』と『2』のストーリーをくっつけて1本の映画にまとめた今作『ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』なわけです。
初見で通して鑑賞してみた率直な感想としては…うん、やっぱり原作キャラをそのまま実写映画の主役にして展開することの難しさが悪い意味で浮き彫りになってしまった作品だなと感じざるを得ませんでした。
なぜ原作キャラを主役に据えるとここまでハードルが跳ね上がってしまうのか。その理由は自分的には大きく分けて1つ。
2つは「プレイヤーが抱くキャラクターへの理想と実写キャストのギャップ(ルッキズム的な意味も含めて)」、そしてもう1つは「ゲーム体験からのケレン味溢れるアクションやキャラクター性のギャップからの崩壊」です。
まず、自分達ゲームをプレイしたプレイヤーにとってはクリスやレオン、ジルといったキャラクター達は、長年ゲーム画面越しに自らの手で操作し思い入れがとても強いというプレイヤーそれぞれに大きな理想がある完成されたキャラクター達なんですよね。
ゲーム内の作り込まれた3Dモデル、ムービーやイベントシーンで見せるケレン味溢れるアクション、それらが長年の歴史の中でプレイヤーそれぞれの頭の中で理想像が存在する。
だからこそそれを実写の生身の人間で再現しようとした瞬間、どれだけ似せようとしてもファンとしてはどうしてもなんか違うなぁという強烈な違和感やノイズが走ってしまう。(もちろん、ルッキズム的な議論になりがちで配役の好みの問題もありますので断ずるつもりはありません)
とはいえ元々の初代バイオなんかは実写ムービーだったのでそれを踏まえた上で百歩譲って見た目の再現度は妥協できたとしても、より深刻だったのがキャラクターたちの性格や描写、そしてアクション面でのギャップです。
原作のゲーム『1』や『2』の段階では、確かにまだアクション寄りのゲームではなく、後年の『4』や『5』のような超範囲の蹴りやフックなどの見栄え重視のケレン味を出し過ぎるのも確かに違う。
しかし、そうだとしても本作における原作キャラたちの扱いや描写はあまりにもファンの期待や理想像からかけ離れてしまっていたと言わざるを得ません。
特に主要キャラクターたちの描写改変なんてその最たる例でしょう。
ゲームの『バイオ2』でのレオンといえば、新人警察官らしい青臭さや戸惑いを見せつつも正義感に溢れ、いざとなれば芯の強い頼もしさを見せてくれるキャラクターですし、その後のシリーズにおいても知っての通りの大人気な主人公。
それが今作では単なる事なかれ主義の情けないコメディリリーフのような扱われ方をされてしまっています。
また洋館組にしても原作の冷静沈着で知的な好青年からお金目当てで裏切る小心者のような扱いになったウェスカーや、やたらと粗暴で品性を欠いた性格に変更されたジルなど、ほぼ全方位において原作ファンであるほど馴染みのあるキャラクター像から乖離してしまっている。これには納得して受け入れるのは難しいのが原作を知っているファン心理。
さらに言えば、ストーリー構成の面でも無茶が目立ちました。
本来であれば「洋館という閉鎖空間でのサバイバルホラー」である『1』の惨劇と「警察署という巨大建築物と街全体に広がっていくパンデミック」を描く『2』の惨劇。このまったく毛色の異なる二つのストーリーを100分ちょっとの映画1本に詰め込もうとしたこと自体に最初から無理があったように思えます。
結果として、洋館組(クリス、ジル、ウェスカー)の探索も、警察署組(クレア、レオン)の脱出劇もどちらも尺が足りずに描写が薄味になり、散漫な印象を与えてしまう。
警察署のロビーや洋館の外観、カギのデザイン、ラクーンシティの看板など、小道具や背景の「原作再現」自体は狂気的なほど力が入っているだけに、肝心の人間ドラマやストーリーの掘り下げがスカスカになってしまっているのが本当にもったいないと感じる部分でした。
これがもし、前回の記事で語ったミラジョボ版1作目のように「原作の事件の裏側で起きていた、プレイヤーの見知らぬ視点の新しい主人公(=映画オリジナルの見知らぬキャラクター)」たちを主役に据えた物語だったなら、話はまったく違っていたはずなんです。
全く新しいオリジナルの主人公であればゾンビの恐怖に全力で怯え散らかそうが、情けなく逃げ惑おうが、あるいは逆に突拍子もないアクションで無双しようが、「まあ、この映画のオリジナルキャラだしな」「本編の裏ではこういうキャラクターもいたのかもしれない」として素直に受け入れられます。プレイヤーの脳内にある「原作キャラの理想像」と衝突することが一切ないからです。
そもそも原作のメインキャラクターたちがゲーム通りに…というかそれ以上のアクションを見せてゲーム本編と地続きのストーリーを展開する作品としては既にケレン味マシマシでやっているCG映画シリーズが存在しているわけですよ。
原作キャラクターをそのまま主役に据えてカッコいいアクションや公式の補完ストーリーが見たいのであれば、そっちのCG映画という絶対的に正解な表現媒体がすでに確立されている。
だからこそ、生身の人間が演じる「実写化映画」という枠組みにおいて、わざわざ危険を冒してまで原作キャラをそのまま主役にし、ファンが抱く理想像と真っ向勝負するような距離感で展開する必要はなかったのではないか……というのが、本作を観て改めて強く抱いた個人的な意見ですね。

というかホラーゲームで原作をなぞるようにして大好評だったのがサイレントヒルの1作目くらいしかないのでやっぱ高い壁なんだと思います。
まとめ
というわけで、初見プレイ……ならぬ初見鑑賞となった『バイオハザード: ウェルカム・トゥ・ラクーンシティ』の感想でした。
ファンサービスとして作中に散りばめられたゲームへの愛(洋館の鍵、かゆいうまの手記、ヘリの墜落、クリーチャーの造形など)にはバイオハザードというゲームのファンに向けた物いう熱意自体は伝わってきます。
ただ、その「原作愛」と「映画としての面白さ・キャラクターの魅力」が上手く噛み合っていなかったのが非常に惜しい作品でした。
原作に近づけようと努力すればするほど、ゲームで味わった体験やキャラクターへの理想像とのギャップが浮き彫りになってしまうという、ゲーム実写化の難しさを改めて痛感させられる一本だったと言えます。
やっぱり実写化において大切なのは原作のコスプレやストーリーのなぞり書きではなく、「その世界観の中で描かれる、独立したサバイバルドラマ」としての距離感なんじゃないかなと。
そう考えると以前感想を書いたミラジョボ版1作目の「原作とは絶妙な距離感を保ち、オリジナルの舞台で割り切って暴れる」というフォーマットの優秀さが、期せずしてより一層際立つ結果になりましたね。
次回のバイオハザード(2026)は予告を見てもそこら辺からは脱却、それでいてニヤリと出来そうなファンサービスは散りばめられていそうなので楽しみ。
本作は酷評気味でしたし、自分自身もハマりはしませんでしたがそういう経験値が礎となって好評な作品が生まれていく物だと思うので、次回がヒットすればこの作品にもちゃんと意味はあったのだと言えると思いますよ。
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